
飛騨の里
国の重要文化財4棟を含む、30余棟が立つ野外博物館。合掌造りをはじめとした飛騨の昔ながらの民家が、飛騨各地から移築・復元されている。館内では、くみひも、さしこなどの体験等も日替りでできる(詳細は要問合せ)。
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国の重要文化財4棟を含む、30余棟が立つ野外博物館。合掌造りをはじめとした飛騨の昔ながらの民家が、飛騨各地から移築・復元されている。館内では、くみひも、さしこなどの体験等も日替りでできる(詳細は要問合せ)。
湯ケ峰山麓の縄文・弥生遺跡を公園として整備。園内には、昭和41年(1966)に発掘した峰一合[みねいちご]遺跡があり、竪穴住居2棟と弥生時代の住居1棟が復元されている。
木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築きあげたという墨俣一夜城。その城址には城郭天守の体裁を整えた歴史資料館がある。周りを流れる犀川の堤防には、桜とあじさいが植えられ、別名「桜堤防・あじさい街道」ともいわれている。
関ケ原駅から北西へ延びる街道沿いがかつての主戦場。向かって前方左手が石田方西軍の笹尾山、後方右手が徳川方東軍の桃配山[ももくばりやま]。戦死者を葬った首塚、各武将の陣跡なども点在する。
松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終えた地で、この地で詠まれた句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」を刻んだ蛤塚が建てられている。かつて大垣と桑名を結ぶ水運の拠点として栄えた船町港の跡地でもあり、水門川に浮かぶ舟と住吉燈台が往時を偲ばせてくれる。近くには「奥の細道むすびの地記念館」もあり、芭蕉と大垣の深い関わりを知ることができる。
不破関は壬申の乱の翌年(673年)、天武天皇が設けた関で、伊勢の鈴鹿関、越前の愛発関とともに、日本三関とよばれた。美濃国司が勤務、兵士が常駐し、国家の非常時に備えていたもので、発掘調査の結果、一辺400mの土塁の中に東山道を取り込み、約100m四方の内郭には、瓦葺きの建物が数多く建っていたと言われている。
庄川河畔に、古くから伝わる家屋5棟を移築保存。その一つ旧三島家は、宝暦13年(1763)に建てられたもので、当初は寄棟式合掌造だったが、明治初期に切妻板葺きに改築。県内で最も早く四間取り形式を取り入れ、飛騨地方の民家の基本形となっている。旧渡辺家は寄棟式入母屋合掌造で、江戸時代末期の建築と推定されている。所要40分。
大きな米倉7棟の中に、七福神など一木造りの巨大な木像を一体ずつ安置している展示館。樹齢1200年のケヤキを彫り抜いた全高7.5mの毘沙門天[びしゃもんてん]、樹齢1000年の杉を彫って造られた、全高6.5mの福禄寿など、どれも圧倒される迫力だ。ギネスブック認定。
天文4年(1535)に創建されたと伝わる。関ケ原合戦では西軍の本拠地となった。4層4階建て総塗りごめ様式の優美な天守からは岐阜城や伊吹山などが見渡せる。
白川郷の荻町集落を見下ろす高台にある展望台。約400年前、室町8代将軍足利義政の命令で信州松代から白川郷へ進出した、内ケ島為氏[うちがしまためうじ]の家臣・山下氏勝の居城があった場所。今はその面影もないが、新緑、紅葉、雪景色の合掌集落を一望できる絶好のポイントとなっている。すぐそばの城山天守閣展望台もおすすめ。展望台への道路は一般乗用車通行禁止のため、徒歩かシャトルバスを利用。詳細は白川郷観光協会HPを要確認。
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