
合掌造り民芸館 神田家
白川郷荻地区にある合掌造り民家の見学施設。江戸後期、宮大工が10年もかけて建造したという4階建てで、合掌造り家屋の中でも高い完成度を誇る。常に囲炉裏には火が焚かれており、駒尻の構造や床下、火見窓など特徴的な構造を細部まで見学できる。敷地内に立つ唐臼小屋や稲架倉もチェックして。見学予約は公式HPから。
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白川郷荻地区にある合掌造り民家の見学施設。江戸後期、宮大工が10年もかけて建造したという4階建てで、合掌造り家屋の中でも高い完成度を誇る。常に囲炉裏には火が焚かれており、駒尻の構造や床下、火見窓など特徴的な構造を細部まで見学できる。敷地内に立つ唐臼小屋や稲架倉もチェックして。見学予約は公式HPから。
荻町最大の合掌造り住宅。江戸中期の建築とみられ、国の重要文化財にも指定されている。天正元年(1573)以来、和田家は、代々弥右衛門の名を継ぎながら名主を務めた。火薬の原料となる塩硝[えんしょう]の取引も許され、式台付きの玄関などに格式の高さがうかがえる。囲炉裏の間や仏間があり、昔、実際に使われていた生活用具や民具、農具のほか、婚礼時や祝い事に使用された赤漆の食器などが展示されている。集落全体が世界遺産となっている。
元禄元年(1688)に建てられたと伝わる茅葺き屋根のこの家は、明智から東へ約4kmの馬木地区、中馬街道沿いにあったもの。昭和53年(1978)に町の文化財に指定され、平成4年(1992)に現在の場所へ移築された。囲炉裏の上のすすけた天井裏など、昔の生活が偲ばれる。所要10分。
江戸幕府の代官所・郡代役所の遺構。飛騨国が幕府直轄領だった176年の間、25代の代官・郡代がここで執務を行った。門番所付きの重厚な表門は天保3年(1832)の改築。玄関之間・大広間・吟味所など役所の一部は、文化13年(1816)の改築当時のものだ。元禄8年(1695)、高山城三之丸から移築した御蔵は年貢米を収めた蔵。国内最古・最大級の米蔵といわれる。門前の広場では毎日朝市を開催。所要30~60分(通訳ガイド要問合せ)。
庄川河畔に、古くから伝わる家屋5棟を移築保存。その一つ旧三島家は、宝暦13年(1763)に建てられたもので、当初は寄棟式合掌造だったが、明治初期に切妻板葺きに改築。県内で最も早く四間取り形式を取り入れ、飛騨地方の民家の基本形となっている。旧渡辺家は寄棟式入母屋合掌造で、江戸時代末期の建築と推定されている。所要40分。
高山市片野町から移築。屋根は板葺石置屋根両妻葺きおろしで、江戸初期の飛騨の農家の様式をとどめる。居間、台所、仕事場を兼ねた室内の広い土間が特徴。
国の重要文化財4棟を含む、30余棟が立つ集落博物館。合掌造りをはじめとした飛騨の昔ながらの民家が、飛騨各地から移築・復元されている。館内では、わら細工、さしこなどの体験等も日替りでできる(詳細は要問合せ)。
文治元年(1185)に築城され、織田信長の叔母が城主をつとめた城。標高717mの天嶮の地形を利用した日本三大山城のひとつで、「日本100名城」にも選定。城下には400年の歴史を誇る町並みが形成、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
天正16年(1588)、金森長近がこの地に築城して城下町を開き、107年間にわたって支配。6代目の頼時が出羽国(現在の山形県)に転封となり、元禄8年(1695)に取り壊された。当時全国でも有数の規模を誇る山城だったが、今は2万平方メートルの敷地に三の丸堀、二の丸石垣、天守閣跡が昔の面影を残している。園内の広場からは市街の眺め、金竜ケ丘からは乗鞍岳など北アルプスの眺望がすばらしい。春は桜、秋は紅葉の名所で、遊歩道を散歩しながら森林浴やバードウォッチングも楽しめる。
大きな米倉7棟の中に、七福神など一木造りの巨大な木像を一体ずつ安置している展示館。樹齢1200年のケヤキを彫り抜いた全高7.5mの毘沙門天[びしゃもんてん]、樹齢1000年の杉を彫って造られた、全高6.5mの福禄寿など、どれも圧倒される迫力だ。ギネスブック認定。
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