水車塚
明治37年(1904)、豪雨で山崩れが起こり一家4人が犠牲になったことを悼んで立てられた鎮魂碑。下方には、島崎藤村の筆による「山家にありて水にうもれたる蜂谷の家族四人之記念に島崎藤村しるす」の一文が刻まれている。現在は水車小屋が復元され、周辺は休憩の場となっている。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
明治37年(1904)、豪雨で山崩れが起こり一家4人が犠牲になったことを悼んで立てられた鎮魂碑。下方には、島崎藤村の筆による「山家にありて水にうもれたる蜂谷の家族四人之記念に島崎藤村しるす」の一文が刻まれている。現在は水車小屋が復元され、周辺は休憩の場となっている。
白川郷荻地区にある合掌造り民家の見学施設。江戸後期、宮大工が10年もかけて建造したという4階建てで、合掌造り家屋の中でも高い完成度を誇る。常に囲炉裏には火が焚かれており、駒尻の構造や床下、火見窓など特徴的な構造を細部まで見学できる。敷地内に立つ唐臼小屋や稲架倉もチェックして。見学予約は公式HPから。
明治39年(1906)に明智町庁舎として建てられた木造の洋館で、昭和32年(1957)まで町役場として使用。現在2階には、日本大正村に関する写真が展示され、村長の執務室も設けられている。1階は休憩所として開放されており、座敷で自由にお茶を飲むことができる。役場内の公衆電話も大正風。所要10分。
標高353mの八幡山山頂に建つ、4層5階の山城。戦国時代末期永禄2年(1559)に陣が置かれたのが始まり。現在の天守は昭和8年(1933)に再建された日本最古の木造再建城。郡上八幡の城下町が一望できる絶景スポットの他、もみじの名城としても人気。新緑や紅葉の時期は多くの人で賑わう。
白川郷の荻町集落を見下ろす高台にある展望台。約400年前、室町8代将軍足利義政の命令で信州松代から白川郷へ進出した、内ケ島為氏[うちがしまためうじ]の家臣・山下氏勝の居城があった場所。今はその面影もないが、新緑、紅葉、雪景色の合掌集落を一望できる絶好のポイントとなっている。すぐそばの城山天守閣展望台もおすすめ。展望台への道路は一般乗用車通行禁止のため、徒歩かシャトルバスを利用。詳細は白川郷観光協会HPを要確認。
平成7年(1995)にユネスコの世界文化遺産に登録された白川郷の集落。大小100余りの茅葺屋根の合掌造りの民家が深い谷に寄り添うように並ぶ様は、まさに日本の原風景。四季折々の美しい光景が広がる。今でも普通に人々の生活が営まれているのも特徴の一つだ。国指定重要文化財の和田家をはじめ、長瀬家や田島家など内部を見学できる民家もあり、伝統的家屋の構造や工夫、知恵、生活を知ることができる。食事処やカフェ、民宿を営んでいる民家もあるので事前チェックを。集落全体を眺めるなら荻町城跡展望台がおすすめ。なお、住民生活とプライバシー保護のため、宿泊客を除く夜間の観光はできない。
大正5年(1916)に完成し、現存する国内最古の近代吊り橋として国の重要文化財にも指定。主柱は鉄筋コンクリート、床は木製という橋の長さは113mあり、徒歩や自転車でなら吊り橋を渡ることもできる。
明治23年(1890)に5代目当主が建て替えた合掌造り民家。白川郷でも最大級の5階建てで、大きな屋根の勾配の上から下までを貫く約11mの一本柱をはじめ、合掌柱には樹齢150~200年の檜や樹齢300年を超えるトチやケヤキなどが使われている。初代から3代目まで漢方医をしていたことから、江戸時代の薬箱や秤、美術品や什器なども展示しており、1階にある壮麗な造りの仏壇が印象的だ。養蚕の作業場だった3・4階では生活用品などを展示。
馬籠宿の坂道を上りきった、中山道への入り口付近に立っている。江戸時代にはこの場所で幕府から庶民にふれ回す高札が掲げられていた。現在は、正徳年間(1711~16)に発布された御朱印[ごしゅいん]、切支丹[きりしたん]、薬品などに関する定書と、明和7年~寛政6年(1770~1794)に発布された徒党禁止の定書が復元され、掲示されている。
長良川の源流域にあたるひるがの高原は、水の流れが日本海側と太平洋側とに分かれる分水嶺地点。園内には分水嶺と大きく刻まれた石碑があり、公園内の池から流れ出る水が、一方は庄川から日本海へ、もう一方は長良川から太平洋へ流れていくことが分かる。春にはミズバショウやカタクリの花が咲き、周辺はシラカバ林が繁り散策も楽しめる。大自然と壮大なロマンを感じさせる公園だ。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。