 
													塩竈神社
玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
- 「紀三井寺駅」から徒歩23分
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													玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
 
													医薬の祖神と伝えられる少彦名命[すくなひこなのみこと]を祭り、安産・子授け・婦人病などに霊験あらたかという。またスクナヒコナノミコトは雛祭りの語源といわれ、社を移した日が3月3日だったので雛祭りの日になったとされる。宝物殿では、紀州徳川家から奉納された雛人形や遊具を展示している。
 
													有田市東部にある浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺だ。その昔、姫の名声をねたんだ継母が伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。姫がハスの糸で織った浄土曼荼羅図などの寺宝も、予約しておけば拝観できる。また、毎年5月14日には、中将姫が極楽浄土に旅立つ様子を表した中将姫来迎大会式[らいごうだいえしき]が盛大に行われる。
 
													弘仁7年(816)に弘法大師が高野山開山のために雨引山麓に政所(寺務所)として建立した古刹。高野山表参道の入口にあり、宿泊所も兼ねていた。開山当時は女人の高野参りはここまでで、大師を訪れた母親もここで逗留。そのため大師は月に9度下山し、そのことから九度山[くどやま]の地名が付いた。境内にある弥勒堂[みろくどう](重要文化財)は、母親没後、信仰を寄せていた本尊の弥勒仏坐像[みろくぶつざぞう](国宝)を安置して大師の母の「御廟所」とした。4方3間、宝形造、檜皮葺[ひわだぶき]の堂で、平安時代末期の堂宇建築の特徴を残す。また女人高野ともよばれ、現在も安産、子授け、乳ガン平癒などへの信仰が篤い。
 
													平安初期に弘法大師が開創した仏教の聖地・高野山。本来の総本山金剛峯寺とは、「一山境内地」といわれるように高野山全体を指すが、壇上伽藍の東北に位置する「総本山金剛峯寺」は、高野山真言宗管長が居住し、高野山全体の宗務を司っている寺院。明治初期に、豊臣秀吉が建立した青巌寺と興山寺が合併し、寺号を金剛峯寺と改め総本山が置かれた。約16万平方mという広大な境内には、檜皮葺きの大屋根を持つ東西54m、南北63mの主殿(本坊)をはじめ、経蔵や鐘楼、別殿、奥殿、阿字観道場などが立ち並ぶ。奥殿の石庭・蟠龍庭が見事。
 
													父苅萱道心[かるかやどうしん]と母千里[ちさと]姫、その子石童丸の親子の悲劇の物語を絵で紹介する堂で、中にある厄除親子地蔵尊は、道心と石童丸の合作の地蔵と伝えられる。物語は、高野山に出家した父親を追って麓の学文路[かむろ]まで来るが、女人禁制のために母を残し、石童丸だけが入山。修行中の父に、いつわりの父の死を告げられ、学文路に戻るがすでに母は他界。高野山に戻って出家し、実の父とは知らずに苅萱道心について厳しい修行を積んだという。高野聖によって全国に語り伝えられた。所要30分。
 
													1月1~3日は地元をはじめ近畿圏から35万人の参拝者が訪れる。紀伊国で最も信仰を集めた一の宮、平安初期に定められた延喜式内社、戦前まで国が助成した旧官幣[かんぺい]大社の歴史が示すとおり格式は高い。境内の一番奥まったところ左側に日像鏡[ひがたのかがみ]を祭る日前神宮、右側に日矛鏡[ひぼこのかがみ]を祭る國懸神宮があり、地元では2社を通称して日前宮とよばれている。
 
													熊野川と音無川、岩田川の合流点にある中洲で、明治時代の大洪水で流失するまで、ここに熊野本宮大社の社殿があった。現在は広い境内に、石祠を2基残すのみだが、清浄な雰囲気がかつての社地の名残りを留めている。入口には日本最大の大鳥居が立ち、春は花見の名所としても知られる。
 
													熊野三山の一つ。鳥居から158段の石段を上ると、神門の向こうに四社殿が立つ。左から夫須美大神を祀る西御前(第一殿)、速玉大神を祀る中御前(第二殿)を合わせた相殿、その右隣に熊野造の証誠殿が立ち、主祭神の家津御子大神を祀る本殿となっている。さらに右隣の若宮(第四殿)には天照大神が祀られている。伝承によると、社殿創建は今から2020年ほど前の崇神天皇の時代。大斎原[おおゆのはら]に鎮座していたが、明治22年(1889)の大洪水で一部社殿が流失し、現在の地に遷座された。宝物殿では、『熊野本宮八葉曼荼羅』や国指定重要文化財の鉄製大湯釜などを展示。
 
													木の国、紀伊国の語源となった木の神、五十猛命を祀る古社で、一之宮。樹木の神、厄除け、大漁・航海安全の神としても知られる。『古事記』には因幡の素兎の続きに御祭神が大国主神を災厄から救った神話が記されており、この神話にちなむ厄除け木の俣くぐりが有名。また病人が飲むと元気になるという「いのちの水」も湧いている。
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