玉津島神社
和歌の浦・玉津島は風光明媚だったことから万葉の時代より和歌に数多く詠まれてきた。和歌の神を祀る神社として朝廷をはじめ多くの歌人の信仰を集める。稚日女尊[わかひるめのみこと]など3神を祀る境内には、小野小町袖掛の塀、根上がり松があり、春には衣通姫桜[そとおりひめざくら]が咲く。国指定名勝に指定されている。
- 「紀三井寺駅」から徒歩24分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
和歌の浦・玉津島は風光明媚だったことから万葉の時代より和歌に数多く詠まれてきた。和歌の神を祀る神社として朝廷をはじめ多くの歌人の信仰を集める。稚日女尊[わかひるめのみこと]など3神を祀る境内には、小野小町袖掛の塀、根上がり松があり、春には衣通姫桜[そとおりひめざくら]が咲く。国指定名勝に指定されている。
正嘉2年(1258)に源実朝を弔うために建立された寺で、法燈国師[ほっとうこくし](覚心)が開祖である。覚心は、醤油の誕生のきっかけとなった径山寺[きんざんじ]味噌の製法を宋から持ち帰り、この地に伝えた人物。また、虚無僧[こむそう]4名を宋から伴って帰国し、全国に普化[ふけ]尺八を広めたことでも知られ、毎年10月13日の開山忌[かいさんき]には尺八の献奏も行われる。8月15日の孟蘭盆会[うらぼんえ]の灯籠焼き(火祭り)の踊りは、和歌山県指定無形民俗文化財。
紀伊田辺駅の北、会津川のほとりに立つ「弘法さん」で親しまれる寺。寺伝によると、草創は聖徳太子で、弘法大師が中興したとされ、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちされた。境内を見渡すと、文化年間(1804~18)に建てられた多宝塔がひときわ目を引く。また、縄文時代の貝塚跡や、墓地には南方熊楠[みなかたくまぐす]や合気道創始者の植芝盛平[うえしばもりへい]の墓もある。
小栗判官を中興の祖とする古刹。小栗は湯の峰温泉に向かう途中、病気になった愛馬の回復をこの寺で祈願。たちまち全快したことに感激し、堂宇を再建したと伝わる。今では開運厄除の霊場として広く信仰されており、山上に諸堂が点在している。
有田市東部にある浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺だ。その昔、姫の名声をねたんだ継母が伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。姫がハスの糸で織った浄土曼荼羅図などの寺宝も、予約しておけば拝観できる。また、毎年5月14日には、中将姫が極楽浄土に旅立つ様子を表した中将姫来迎大会式[らいごうだいえしき]が盛大に行われる。
5世紀初めに、熊野権現を勧請し、建立されたと伝えられる神社。社名は、弁慶の父といわれる熊野別当湛増[たんぞう]が、壇ノ浦の合戦の際に源平両軍から支援を求められ、どちらにつくか迷ったので、この神社の境内で紅白の鶏を闘わせて占い、源氏に加勢したことから付いた。境内には江戸時代建築の社殿が立ち並び、社務所には、湛増の鉄烏帽子や鉄扇、源義経愛用の笛、弁慶の産湯の釜が、社宝として展示されている。
大宝元年(701)建立。和歌山県下に現存する最古の寺。若く美しい安珍に心を奪われた清姫は募る思いから大蛇となり、道成寺の釣鐘に隠れた安珍を炎で燃やし、自らは入水したという伝説が残る。62段の石段を上り、朱塗りの仁王門(重要文化財)をくぐると、正面に本堂(重要文化財)、右手に安珍清姫伝説の鐘楼跡がある。宝仏殿には平安前期作の木造千手観音立像(国宝)や脇侍の日光・月光菩薩像(国宝)をはじめ、数々の文化財を安置。縁起堂では、寺の縁起と安珍清姫伝説の絵とき説法(約40分)も、随時行う。
創建は1700年以上前と伝わる。古来魔除けとされた丹(水銀朱)の女神・ニウツヒメを祀り、全国に180余社ある丹生神社の総本社にあたる。高野山を神領とし、これを弘法大師へ授けて高野山の総鎮守となった。この時、弘法大師を導いた白と黒の犬を神使とする。高野参詣では、丹生都比売神社にも参拝するのが習わしとされる。「にほんの里100選」に選ばれた鎮座地・天野の里の風景に映える、丹塗りの本殿四殿と楼門は、室町時代の造営で国の重要文化財。境内全域が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている。
インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人[らぎょうしょうにん]が開山した寺。本尊は千手千眼観世音菩薩像(重要文化財)で、平安時代に作られたもの。補陀洛とは古代サンスクリット語の「ポータラカ」の音訳で、観音菩薩の住む浄土を意味する。かつて那智の浜は補陀洛浄土に通じていると信じられ、この寺の住僧は臨終間際になるとわずかな食料を屋形付きの小舟に積み、扉を封印して、補陀洛へと旅立った。これを補陀洛渡海[ふだらくとかい]という。境内には渡海船が復元されているほか、隣には熊野詣の際、潮垢離[しおごり]をしたといわれる浜ノ宮王子跡に、熊野三所大神社[おおみやしろ]が立つ。
平安初期に弘法大師が開創した仏教の聖地・高野山。本来の総本山金剛峯寺とは、「一山境内地」といわれるように高野山全体を指すが、壇上伽藍の東北に位置する「総本山金剛峯寺」は、高野山真言宗管長が居住し、高野山全体の宗務を司っている寺院。明治初期に、豊臣秀吉が建立した青巌寺と興山寺が合併し、寺号を金剛峯寺と改め総本山が置かれた。約16万平方mという広大な境内には、檜皮葺きの大屋根を持つ東西54m、南北63mの主殿(本坊)をはじめ、経蔵や鐘楼、別殿、奥殿、阿字観道場などが立ち並ぶ。奥殿の石庭・蟠龍庭が見事。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。