
粉河寺
宝亀元年(770)に創建され、『枕草子』にも登場する古刹。正式には風猛山[ふうもうざん]粉河寺。粉河観音宗の総本山で西国三十三カ所第3番札所として名高い。最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領四万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、秀吉の紀州攻めの際に諸堂を焼失。江戸時代に再建された。大門、中門、本堂、千手堂(いずれも重要文化財)などがたたずむ。『紙本著色[しほんちょしょく]粉河寺縁起絵巻』は平安時代に描かれたもので、国宝に指定されている。
- 「粉河駅」から徒歩19分
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宝亀元年(770)に創建され、『枕草子』にも登場する古刹。正式には風猛山[ふうもうざん]粉河寺。粉河観音宗の総本山で西国三十三カ所第3番札所として名高い。最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領四万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、秀吉の紀州攻めの際に諸堂を焼失。江戸時代に再建された。大門、中門、本堂、千手堂(いずれも重要文化財)などがたたずむ。『紙本著色[しほんちょしょく]粉河寺縁起絵巻』は平安時代に描かれたもので、国宝に指定されている。
『紀伊続風土記』などによると、欽明天皇の時代の創建と伝わる。室町時代に建てられた本殿や楼門、拝殿などの建物と鎌倉時代に作られたの短刀が国の重要文化財に指定。毎年10月1日に行われる秋祭りでは、豊作を祈願する田楽や獅子舞が奉納される。稲むらの火の物語で村の人たちが避難した場所にあたり、境内には濱口梧陵の碑が立つ。稲むらの火祭りは毎年10月第3土曜開催。
熊野古道九十九王子の一つで、その中でも特に古く格式の高い王子社であったといわれている。古来より「美人王子」とも呼ばれ、祈願すれば美しい子供を授かるというので安産祈願の御参りをする人があとをたたない。社叢は御坊市の天然記念物に指定され、ナギやヤマモモの木などの巨木・老樹があり、春には満開の桜が楽しめる。
桃山町から高野街道をたどる山間にある。主要な建物である本殿や大日堂は室町時代に建立されたもので、いずれも重要文化財に指定されている。
有田市東部にある浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺だ。その昔、姫の名声をねたんだ継母が伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。姫がハスの糸で織った浄土曼荼羅図などの寺宝も、予約しておけば拝観できる。また、毎年5月14日には、中将姫が極楽浄土に旅立つ様子を表した中将姫来迎大会式[らいごうだいえしき]が盛大に行われる。
天文9年(1540)、吉原(現美浜町)に湯川直光が建立した浄土真宗本願寺派の寺。豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失し、文禄4年(1595)、現在地に移転。以来「御坊さん」と呼ばれ、御坊市の名の起こりとなった。文政8年(1825)に現在の本堂が再建。明治10年(1877)、別院の称号を得た。境内には、樹齢423年のイチョウの巨木(和歌山県天然記念物)がそびえる。境内にある御坊幼稚園は、大正4年(1915)設立、和歌山県内一の歴史ある幼稚園である。
平安時代の創建と伝えられる寺。秀吉の紀州攻めで境内のほとんどが焼失したものの、本尊の如意輪観音は焼け残ったとされる。紀州徳川藩主・徳川頼宣が本堂を再建したのち、紀州徳川家の祈願寺となった。
大塔とともに豊臣秀吉による紀州攻めの兵火から逃れた堂宇。明徳2年(1391)に建立された。厨子・須弥壇[しゅみだん]とともに国の重要文化財に指定されている。堂内には、真言宗の開祖弘法大師(空海)の像を安置する。
建保2年(1214)に栄西禅師[えいさいぜんじ]によって創建されたと伝えられる寺。一重裳階[もこし]付きの釈迦堂(本堂、国宝)は、鎌倉末期の唐様仏殿建築。七堂伽藍の大寺院だったが、この釈迦堂のみ現存。
中言神社は、夫婦二柱の神を主祭神とし、子供の生育成長を守り、縁結び、家内安全、陰陽和合の神として、中言の名も神と人との「中」を執りもつ「こと(言)」より出て、人々に崇敬されている。万葉の太古より歌所として「萬葉集」に詠まれている「黒牛潟」は、神社の境内周辺で、地名として詠まれている。
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