
黒江の町並み
黒江は古い漆器づくりの町。この地域で作られている紀州漆器は、日本三大漆器の産地として全国的にも有名。川端通り周辺には、昔の漆器職人たちの住居兼職場や問屋が今も残り、一部では漆器製品の販売も行われている。独特の「紀州連子格子」、また、建物が通りに対して斜めにのこぎり歯状に建つ独特の景観は、「黒江の町並み」と呼ばれ多くの観光客が訪れる。
- 「黒江駅」から徒歩17分/「海南駅」から徒歩21分
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黒江は古い漆器づくりの町。この地域で作られている紀州漆器は、日本三大漆器の産地として全国的にも有名。川端通り周辺には、昔の漆器職人たちの住居兼職場や問屋が今も残り、一部では漆器製品の販売も行われている。独特の「紀州連子格子」、また、建物が通りに対して斜めにのこぎり歯状に建つ独特の景観は、「黒江の町並み」と呼ばれ多くの観光客が訪れる。
万葉集に詠まれた風光明媚な地。一帯には和歌の神を祀る玉津島神社や多数の歌碑のほか、不老橋など紀州藩ゆかりの史跡もあり、絶好の散策地。平成22年(2010)8月に国の名勝に指定、平成29年(2017)には日本遺産に認定された。
片男波公園にある散策路。万葉の時代に行幸に同行した人々が「和歌の浦」や「玉津島」、「名草山」を題材に詠み込んだ5つの万葉歌碑が立てられている。
四国から和歌山県のアクセスは、車を使うと遠回りになるうえ時間もかかり、なにかと不便。そこで利用したいのが徳島と和歌山を結ぶフェリー。手足を伸ばせる座敷席や売店なども完備し、ゆったりと船旅を楽しむことができる。クレジットカードは車両のみ利用可。
加太駅から県道を200mほど加太港に向かって進むと道路が直角に大きく折れ曲がる三叉路につく。そのかたわらに「右わかやまみち左あわしまみち」と刻まれた道標が立つ。西に向かう狭い路地こそ、かつて大和の都人が淡路島や四国、九州へとたどったといわれる淡島街道。現在は、道標から淡嶋神社までの部分をあわしま街道とよんでいる。淡嶋神社に向かう途中には役行堂が、また道沿いには加太春日神社や格子戸や本瓦、白壁の古い家並みがあり、交通の要衝だった頃の面影が残る。
低い軒や瓦屋根の建物が並び、金物店など昔ながらの店舗が続く。道行くおじいちゃんや、三輪車に乗ったおばあちゃんに出会えるレトロなスポットだ。魚港も近く、鮮魚店には新鮮魚介がズラリ。県道151号を和歌浦に沿って東に進めば左手に見える青い看板が目印。商店街周辺は日本遺産『絶景の宝庫和歌の浦』に指定されている。
東西南北に広がる「本町通り商店街」や「ぶらくり丁大通り商店街」など、6つの商店街は総じて「ぶらくり丁」として親しまれてきた。紀州藩が誇る繁華街として栄華を極めた和歌山県下最大級の商業集積地で、商店街の歴史を今に伝える老舗店も数多く残る。
臨海浦の南海上に浮かぶ南北130m、東西35m、高さ25mほどの無人の小島で、正式には高嶋という。中央部分に円型の海蝕洞が開いていることから、円月島の名が付いた。夕景の美しさは格別で、白浜を代表する夕景ポイント。おすすめのビューポイントはバス停臨海から白良浜方面へ向かう海沿いの県道34号。
勝浦港の観光桟橋からクジラをかたどった遊覧船に乗って島巡りができる。島巡りのみのCコースは所要約40分、悪天候時のみ運行。太地のくじら浜公園に立ち寄り、乗下船できるAコースは、所要55分。1日6便。
江戸時代から昭和にかけて、熊野川流域の産物の交易の場所として、熊野川河口川原には簡易住宅川原家が建ち並び賑わっていた。川原家は、川が増水すると折り畳んで町に引き揚げ、水が引くとすぐ組み立てて元の町を復元。明治から昭和の最盛期には宿屋など300軒以上が商いを行っていた。その川原家を模した店が並ぶのが、熊野速玉大社に隣接する観光施設・川原家横丁。毎週土・日曜、祝日には、かつて熊野信仰を全国各地に広めた熊野比丘尼の絵解きを再現。地元語り部ガイドが、新宮の歴史や伝説などのみどころを解説してくれる。
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