
吉宗誕生地石碑
紀州二代藩主徳川光貞の四男として、側室お由利を母に和歌山城下吹上にある御用屋敷で生まれた吉宗。屋敷の跡地には石碑「徳川吉宗公誕生地」が建てられている。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
紀州二代藩主徳川光貞の四男として、側室お由利を母に和歌山城下吹上にある御用屋敷で生まれた吉宗。屋敷の跡地には石碑「徳川吉宗公誕生地」が建てられている。
玉津島神社向かい側の橋。紀州藩主徳川治宝が嘉永4年(1851)に造らせた当時としては珍しい石組みのアーチ橋。徳川家が紀州東照宮に参拝する際におなり橋として渡っていた。
江戸時代の外科医・華岡青洲の診療所。文化元年(1804)、全身麻酔による外科手術に成功した青洲が患者の治療を行った主屋、門下生に医学を教えた門下生部屋、入院患者のための病室などが復元されている。内部には人形・音声ガイド・ビデオによる解説があり、当時を偲びながら青洲の業績を学べる。
燈明崎にある。天平勝宝4年(754)、吉備真備らが唐からの帰途に海上で暴風雨に遭い、紀伊国牟漏崎に漂着したとの記述が『続日本紀』にみえる。さらに文政年間(1818~1830)の文献には、吉備真備の一族がこの地に定住し、太地の村を開いたとも記されている。記述に現れる牟漏崎とは現在の燈明崎といわれており、記念碑が建てられている。
熊野古道の要所であり、五体王子の次に重要とされた王子。日置川に架かる北野橋を渡ってすぐの所に近露王子之跡と刻まれた自然石の碑がある。また、江戸時代に宿場町として栄えた、近露の里の山里風景も広がる。
高野山にある徳川家康・秀忠親子の霊を祭る2基の霊屋[たまや](重要文化財)。向かって右側が家康、左側が秀忠。3代将軍家光が寛永20年(1643)に建立。いずれも約6m四方の一重宝形[ひとえほうぎょう]造で、銅瓦葺の屋根の頂に露盤を載せ、周囲に縁と勾欄[こうらん]を配している。正面の向拝[こうはい]は唐破風[からはふ]。家康は寅、秀忠は兎の干支の彫刻がある。内部は非公開。壁面・天井・厨子にいたるまで、金銀の蒔絵や極彩色の装飾金具など絢爛豪華な飾りが施されている。
仏教によって国を鎮めるために、聖武[しょうむ]天皇の勅命により一国に一カ所建立したのが国分寺。天平勝宝[てんぴょうしょうほう]8年(756)、紀伊にも国分僧寺と尼寺が建立され、現在の紀の川市側に国分僧寺、岩出市側に国分尼寺と推定される西国分廃寺があった。その後元慶[がんぎょう]3年(879)に焼失した。現在、塔跡の礎石などが保存されており、歴史公園として開放されている。
湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区は醤油醸造業で栄えた歴史が今もなお残っている。醸造関連の町家や土蔵などがよく残っており、平成18年(2006)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成29年(2017)には醤油醸造のストーリーが日本遺産に認定された。
平安時代に16歳で養父母を失い、親の菩提を弔うために黒髪を売って奥の院の燈籠堂に献燈した孝女お照の供養碑。
明治時代に創業した、JR高野口駅前にある木造3階建の元旅館。内部は旅館を営業していたころの姿が残され、高野山参詣の人でにぎわった当時をしのぶことができる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。