観海閣
玉津島神社の向かいにある妹背山[いもせやま]。そこにかかる和歌山県内最古の石橋、三断橋を渡ると、和歌浦から紀三井寺を遥拝するため徳川頼宣が建立したとされる水上楼閣がある。現在の建物は昭和38年(1963)に復元されたもの。景勝地としても有名で、名草山にかかる美しい月が眺められる。観海閣を含む「和歌の浦」が国名勝に指定。
- 「紀三井寺駅」から徒歩20分
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玉津島神社の向かいにある妹背山[いもせやま]。そこにかかる和歌山県内最古の石橋、三断橋を渡ると、和歌浦から紀三井寺を遥拝するため徳川頼宣が建立したとされる水上楼閣がある。現在の建物は昭和38年(1963)に復元されたもの。景勝地としても有名で、名草山にかかる美しい月が眺められる。観海閣を含む「和歌の浦」が国名勝に指定。
仏教によって国を鎮めるために、聖武[しょうむ]天皇の勅命により一国に一カ所建立したのが国分寺。天平勝宝[てんぴょうしょうほう]8年(756)、紀伊にも国分僧寺と尼寺が建立され、現在の紀の川市側に国分僧寺、岩出市側に国分尼寺と推定される西国分廃寺があった。その後元慶[がんぎょう]3年(879)に焼失した。現在、塔跡の礎石などが保存されており、歴史公園として開放されている。
湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区は醤油醸造業で栄えた歴史が今もなお残っている。醸造関連の町家や土蔵などがよく残っており、平成18年(2006)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成29年(2017)には醤油醸造のストーリーが日本遺産に認定された。
西行とその妻娘を偲んで建てられ、古くから高野山の僧や一般のお参りが多かったとされる。昭和61年(1986)の再建。堂の下に妻娘の墓がある。
文久3年(1863)に尊皇攘夷を訴え挙兵した天誅組の志士8人が、再挙を計って小又川へ逃れたが、同年9月22日に自首し、幽閉された倉。復元された茅葺屋根に白壁の倉の内部には、天誅組のリーダー水郡[にごり]長雄が血書した辞世の歌なども残っている。
昭和32年(1957)2月、日ノ御崎沖で火災を起こした徳島県の機帆船の乗組員を、デンマークの貨客船エレン・マークス号の機関長ヨハネス・クヌッセンが救助しようとした際、荒天で波にのまれて水死した。この遺徳を偲んで建てられた胸像が、日の岬パークの駐車場近くにある。
東くめは日本で初めて口語体による童謡を作詞した人。作曲家の滝廉太郎とのコンビで、『鳩ぽっぽ』『お正月』など不朽の名作を多数残した。新宮の名誉市民であり、新宮駅前に『鳩ぽっぽ』の歌碑が建てられている。
新宮駅の近くにある、中国風の楼門がひときわ鮮やかな公園。園内には、徐福の墓や顕彰碑、徐福の重臣たち7人を祭った七塚の碑などがある。徐福とは、中国の歴史書『史記』によれば、今から約2200年前、秦の始皇帝に方土(仙術者)として仕えた人。皇帝の命を受け不老不死の霊薬を探しに、東方に浮かぶ蓬莱の島に向かって出航した。熊野で不老長寿の木といわれる天台烏薬を見つけたが、気候温暖で風光明媚な土地柄を気に入り、熊野を永住の地とした。土地を開拓し、農耕、漁法、紙すきなどの技術を伝えたといわれる。毎年8月12・13日には徐福を供養する万燈祭が行われ、花火等で賑わう。
平安時代に16歳で養父母を失い、親の菩提を弔うために黒髪を売って奥の院の燈籠堂に献燈した孝女お照の供養碑。
故郷を愛し続けた作家・詩人の佐藤春夫は、望郷詩人と称された。この『秋刀魚[さんま]の歌』は、大正10年(1921)に発表した代表作。「あわれ秋風よ 情あらば伝えてよ……さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて、さんまを食ふはその男がふる里のならひなり」と刻まれている。親友である作家谷崎潤一郎の夫人であった千代と再婚したときの心情を歌ったものだ。碑は旧国鉄紀勢本線開通の昭和34年(1959)に建立された。
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