牛馬童子像
高さわずか50cmの像で、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏。記念撮影スポットとしても人気で、その愛らしい姿が訪れる人の心を癒してくれる。近くには、のどかな田園風景を一望できる東屋も。
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高さわずか50cmの像で、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏。記念撮影スポットとしても人気で、その愛らしい姿が訪れる人の心を癒してくれる。近くには、のどかな田園風景を一望できる東屋も。
日高町原谷地区と広川町井関地区をつなぐ熊野古道にある峠道。かつては難所の一つとされたが、今では散策路が整備されている。熊野古道に現存するもののなかで最も長い石畳道が残り、健脚者向きのハイキングコースとしても親しまれている。
安政元年(1854)に発生した安政南海地震の際、広村に帰郷していた濱口梧陵は火をつけた稲むらを目印に村人を避難させた。梧陵の行動に基づいた話は、昭和12年(1937)から約10年間、防災教材「稲むらの火」として小学校の国語の教科書に掲載されていた。津波被害を受けた村を見た梧陵は、津波に備えるために私財を投じて防潮堤を完成させた。梧陵が築いた広村堤防により、広川町は昭和の南海地震による津波被害から免れることができた。
熊野霊場の入口とされ、九十九王子の中でも格式が高いとされた「五体王子」のひとつ。後鳥羽上皇や貴族が熊野詣に訪れた際には、ここで体を浄め、歌会などを行ったといわれている。滝尻王子の奥からは険しい山道が続く。
会津川河口付近にかかる田辺大橋のたもとにある。田辺領主・安藤家が居城とした錦水城(田辺城)の水門で、会津川への出入門として利用されていた。現在はその石垣だけが残されている。
湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区は醤油醸造業で栄えた歴史が今もなお残っている。醸造関連の町家や土蔵などがよく残っており、平成18年(2006)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成29年(2017)には醤油醸造のストーリーが日本遺産に認定された。
熊野古道の要所であり、五体王子の次に重要とされた王子。日置川に架かる北野橋を渡ってすぐの所に近露王子之跡と刻まれた自然石の碑がある。また、江戸時代に宿場町として栄えた、近露の里の山里風景も広がる。
昭和32年(1957)2月、日ノ御崎沖で火災を起こした徳島県の機帆船の乗組員を、デンマークの貨客船エレン・マークス号の機関長ヨハネス・クヌッセンが救助しようとした際、荒天で波にのまれて水死した。この遺徳を偲んで建てられた胸像が、日の岬パークの駐車場近くにある。
燈明崎にある。天平勝宝4年(754)、吉備真備らが唐からの帰途に海上で暴風雨に遭い、紀伊国牟漏崎に漂着したとの記述が『続日本紀』にみえる。さらに文政年間(1818~1830)の文献には、吉備真備の一族がこの地に定住し、太地の村を開いたとも記されている。記述に現れる牟漏崎とは現在の燈明崎といわれており、記念碑が建てられている。
平重盛の家臣・滝口入道[たきぐちにゅうどう]を慕い、悲恋の内に没した女官横笛を弔う塚。
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