 
													樫野埼灯台
日本最古の石造灯台。イギリス人が設計と建設にあたり、明治3年(1870)に初点灯。現在は自動点灯の無人灯台のため、内部は非公開になっている。スイセンの名所としても知られ、12~2月になると花が咲き、周囲はさわやかな香りで包まれる。かつて常駐していたイギリス人技師が植えたものと言われている。
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													日本最古の石造灯台。イギリス人が設計と建設にあたり、明治3年(1870)に初点灯。現在は自動点灯の無人灯台のため、内部は非公開になっている。スイセンの名所としても知られ、12~2月になると花が咲き、周囲はさわやかな香りで包まれる。かつて常駐していたイギリス人技師が植えたものと言われている。
 
													詩人の野口雨情が生前に愛した地を記念して造られた、紀州にゆかりのある童謡をモチーフにした公園。園内には『まりと殿様』や『鳩ぽっぽ』などのブロンズ像や歌碑がある。
 
													西行とその妻娘を偲んで建てられ、古くから高野山の僧や一般のお参りが多かったとされる。昭和61年(1986)の再建。堂の下に妻娘の墓がある。
 
													紀州二代藩主徳川光貞の四男として、側室お由利を母に和歌山城下吹上にある御用屋敷で生まれた吉宗。屋敷の跡地には石碑「徳川吉宗公誕生地」が建てられている。
 
													平重盛の家臣・滝口入道[たきぐちにゅうどう]を慕い、悲恋の内に没した女官横笛を弔う塚。
 
													紀ノ川流域随一の大規模民家。土塀で囲まれた約2200平方mの敷地には主屋をはじめ、北蔵、内蔵、長屋蔵、味噌部屋、茶室、人力車庫などが立ち並び、江戸時代末期の和佐組大庄屋にふさわしい屋敷構えを残している。本瓦葺き、入母屋造りの主屋は嘉永5年(1852)の建築、3階の望山楼や20畳敷の大広間を持ち、表門・長屋蔵・北蔵・内蔵・御成門とともに国の重要文化財に指定されている。
 
													玉津島神社の向かいにある妹背山[いもせやま]。そこにかかる和歌山県内最古の石橋、三断橋を渡ると、和歌浦から紀三井寺を遥拝するため徳川頼宣が建立したとされる水上楼閣がある。現在の建物は昭和38年(1963)に復元されたもの。景勝地としても有名で、名草山にかかる美しい月が眺められる。観海閣を含む「和歌の浦」が国名勝に指定。
 
													中世以来の名家で、江戸時代には紀州藩主頼宣[よりのぶ]から地士に処遇され、寛永7年(1630)以来名手の大庄屋だった妹背家の住居(重要文化財・史跡)。旧大和街道に面し、参勤交代や鷹狩りなどのときに藩主が宿泊した本陣で、人々からは名手本陣とよばれていた。建物は江戸時代に建てられたもので、御座の間にある入母屋造の母屋や米倉など保存状態がよい。
 
													安政元年(1854)に発生した安政南海地震の際、広村に帰郷していた濱口梧陵は火をつけた稲むらを目印に村人を避難させた。梧陵の行動に基づいた話は、昭和12年(1937)から約10年間、防災教材「稲むらの火」として小学校の国語の教科書に掲載されていた。津波被害を受けた村を見た梧陵は、津波に備えるために私財を投じて防潮堤を完成させた。梧陵が築いた広村堤防により、広川町は昭和の南海地震による津波被害から免れることができた。
 
													高さわずか50cmの像で、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏。記念撮影スポットとしても人気で、その愛らしい姿が訪れる人の心を癒してくれる。近くには、のどかな田園風景を一望できる東屋も。
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