滝尻王子
熊野霊場の入口とされ、九十九王子の中でも格式が高いとされた「五体王子」のひとつ。後鳥羽上皇や貴族が熊野詣に訪れた際には、ここで体を浄め、歌会などを行ったといわれている。滝尻王子の奥からは険しい山道が続く。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
熊野霊場の入口とされ、九十九王子の中でも格式が高いとされた「五体王子」のひとつ。後鳥羽上皇や貴族が熊野詣に訪れた際には、ここで体を浄め、歌会などを行ったといわれている。滝尻王子の奥からは険しい山道が続く。
中辺路から来ると、本宮大社の2つ手前にある王子で熊野九十九王子の一つ。熊野古道を歩いてきた参詣者が、ここに来て、初めて遠くに熊野本宮大社を眺め伏し拝んだことから、この名が付いた。現在でも東南に大斎原が望める。石祠のそばには、平安時代の歌人、和泉式部[いずみしきぶ]供養塔が立つ。
平重盛の家臣・滝口入道[たきぐちにゅうどう]を慕い、悲恋の内に没した女官横笛を弔う塚。
会津川河口付近にかかる田辺大橋のたもとにある。田辺領主・安藤家が居城とした錦水城(田辺城)の水門で、会津川への出入門として利用されていた。現在はその石垣だけが残されている。
高さわずか50cmの像で、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏。記念撮影スポットとしても人気で、その愛らしい姿が訪れる人の心を癒してくれる。近くには、のどかな田園風景を一望できる東屋も。
詩人の野口雨情が生前に愛した地を記念して造られた、紀州にゆかりのある童謡をモチーフにした公園。園内には『まりと殿様』や『鳩ぽっぽ』などのブロンズ像や歌碑がある。
高野山にある徳川家康・秀忠親子の霊を祭る2基の霊屋[たまや](重要文化財)。向かって右側が家康、左側が秀忠。3代将軍家光が寛永20年(1643)に建立。いずれも約6m四方の一重宝形[ひとえほうぎょう]造で、銅瓦葺の屋根の頂に露盤を載せ、周囲に縁と勾欄[こうらん]を配している。正面の向拝[こうはい]は唐破風[からはふ]。家康は寅、秀忠は兎の干支の彫刻がある。内部は非公開。壁面・天井・厨子にいたるまで、金銀の蒔絵や極彩色の装飾金具など絢爛豪華な飾りが施されている。
燈明崎にある。天平勝宝4年(754)、吉備真備らが唐からの帰途に海上で暴風雨に遭い、紀伊国牟漏崎に漂着したとの記述が『続日本紀』にみえる。さらに文政年間(1818~1830)の文献には、吉備真備の一族がこの地に定住し、太地の村を開いたとも記されている。記述に現れる牟漏崎とは現在の燈明崎といわれており、記念碑が建てられている。
熊野川を見下ろす高台にある公園。新宮城(丹鶴城)は寛永10年(1633)に完成し、浅野氏2代、水野氏10代と続いた三万五千石の居城だった。名前は、築城前に源為義の娘である丹鶴姫が開いた東仙寺があったことから。太平洋をよく見渡せるため沖見城とも呼ばれた。明治時代に城はとり壊されたが、表面を美しく加工した切石で積む算木積み[さんぎづみ]の石垣が残っている。熊野川沿いの水ノ手からは水野氏の経済活動を示す炭納屋群が発見されている。国史跡「新宮城跡附水野家墓所」。
日本最古の石造灯台。イギリス人が設計と建設にあたり、明治3年(1870)に初点灯。現在は自動点灯の無人灯台のため、内部は非公開になっている。スイセンの名所としても知られ、12~2月になると花が咲き、周囲はさわやかな香りで包まれる。かつて常駐していたイギリス人技師が植えたものと言われている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。