
西行堂と妻娘の墓
西行とその妻娘を偲んで建てられ、古くから高野山の僧や一般のお参りが多かったとされる。昭和61年(1986)の再建。堂の下に妻娘の墓がある。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
西行とその妻娘を偲んで建てられ、古くから高野山の僧や一般のお参りが多かったとされる。昭和61年(1986)の再建。堂の下に妻娘の墓がある。
平重盛の家臣・滝口入道[たきぐちにゅうどう]を慕い、悲恋の内に没した女官横笛を弔う塚。
吉宗が紀州藩主だった正徳2年(1712)に設置された鐘楼。2階部分に吊り下げられた鐘は、大坂夏の陣で豊臣方が使用した大砲を利用して鋳造したものと伝えられている。
紀ノ川流域随一の大規模民家。土塀で囲まれた約2200平方mの敷地には主屋をはじめ、北蔵、内蔵、長屋蔵、味噌部屋、茶室、人力車庫などが立ち並び、江戸時代末期の和佐組大庄屋にふさわしい屋敷構えを残している。本瓦葺き、入母屋造りの主屋は嘉永5年(1852)の建築、3階の望山楼や20畳敷の大広間を持ち、表門・長屋蔵・北蔵・内蔵・御成門とともに国の重要文化財に指定されている。
和歌山市東部の丘陵地にある面積約67万平方mの県立博物館施設。広大な敷地には、特別史跡に指定される岩橋千塚古墳群(約430基)を中心に、復元した古墳時代の竪穴住居や県内の代表的な民家を移築している。緑多い園内には散策コースが設けられており、自然を楽しみながらのウォーキングにも最適。丘陵の上からの眺めはすばらしく和歌山市街地・紀ノ川や和泉山脈を一望できる。広大な敷地のため、まず中心的な施設で考古・民俗資料を展示する紀伊風土記の丘資料館に立ち寄り、どこを見るかポイントを絞ってから回りたい。
安政元年(1854)に発生した安政南海地震の際、広村に帰郷していた濱口梧陵は火をつけた稲むらを目印に村人を避難させた。梧陵の行動に基づいた話は、昭和12年(1937)から約10年間、防災教材「稲むらの火」として小学校の国語の教科書に掲載されていた。津波被害を受けた村を見た梧陵は、津波に備えるために私財を投じて防潮堤を完成させた。梧陵が築いた広村堤防により、広川町は昭和の南海地震による津波被害から免れることができた。
高さわずか50cmの像で、平安時代の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏。記念撮影スポットとしても人気で、その愛らしい姿が訪れる人の心を癒してくれる。近くには、のどかな田園風景を一望できる東屋も。
東くめは日本で初めて口語体による童謡を作詞した人。作曲家の滝廉太郎とのコンビで、『鳩ぽっぽ』『お正月』など不朽の名作を多数残した。新宮の名誉市民であり、新宮駅前に『鳩ぽっぽ』の歌碑が建てられている。
紀伊風土記の丘資料館に隣接した復元竪穴住居は、古墳時代のものを復元したもの。古代の生活が体験できる。4軒の民家は江戸時代のもので、うち商家の旧柳川家住宅の主屋と前蔵、漁家の土蔵造りの旧谷山家住宅は、国の重要文化財に指定されている。
玉津島神社の向かいにある妹背山[いもせやま]。そこにかかる和歌山県内最古の石橋、三断橋を渡ると、和歌浦から紀三井寺を遥拝するため徳川頼宣が建立したとされる水上楼閣がある。現在の建物は昭和38年(1963)に復元されたもの。景勝地としても有名で、名草山にかかる美しい月が眺められる。観海閣を含む「和歌の浦」が国名勝に指定。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。