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唯一残される不動坂口の女人堂
高野七口の一つ、不動口に現存する唯一の女人堂。かつて七口すべてにあった女人堂は高野山が女人禁制だったころに、女性が真言をひと晩中唱えていた場所。高野山の外周には女人道があり、女性は峯から峯を巡りながら樹間から垣間見える壇上伽藍や奥の院に手を合わせて参拝したといわれる。明治になって女人禁制が解かれたあとは、参拝者の休憩所に利用された。
高野七口の一つ、不動口に現存する唯一の女人堂。かつて七口すべてにあった女人堂は高野山が女人禁制だったころに、女性が真言をひと晩中唱えていた場所。高野山の外周には女人道があり、女性は峯から峯を巡りながら樹間から垣間見える壇上伽藍や奥の院に手を合わせて参拝したといわれる。明治になって女人禁制が解かれたあとは、参拝者の休憩所に利用された。
営業時間 |
8時30分~17時
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定休日 |
無休
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料金 |
境内無料
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住所 |
和歌山県高野町高野山709
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交通アクセス |
京奈和道紀北かつらぎICから国道24・480号経由26km40分
高野山ケーブル高野山駅→南海りんかんバス奥の院方面行きで6分、バス停:女人堂下車、徒歩すぐ
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電話番号 |
0736563508
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情報提供:株式会社JTBパブリッシング
2025/07/25
2025年07月29日 09時00分発表天気情報提供元:ウェザーニュース
時刻 | 0時 | 3時 | 6時 | 9時 | 12時 | 15時 | 18時 | 21時 |
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天気 |
晴 |
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気温 |
20°C |
19°C |
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26°C |
31°C |
33°C |
27°C |
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降水量 |
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風向き |
南東 |
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東北東 |
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北西 |
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高野山にある徳川家康・秀忠親子の霊を祭る2基の霊屋[たまや](重要文化財)。向かって右側が家康、左側が秀忠。3代将軍家光が寛永20年(1643)に建立。いずれも約6m四方の一重宝形[ひとえほうぎょう]造で、銅瓦葺の屋根の頂に露盤を載せ、周囲に縁と勾欄[こうらん]を配している。正面の向拝[こうはい]は唐破風[からはふ]。家康は寅、秀忠は兎の干支の彫刻がある。内部は非公開。壁面・天井・厨子にいたるまで、金銀の蒔絵や極彩色の装飾金具など絢爛豪華な飾りが施されている。
壇上伽藍とともに高野山の二大聖地といわれる奥之院。墓石や供養塔が並び立つ約2kmの参道の最奥に位置するのが弘法大師(空海)の御廟。参道の最後の橋・御廟橋を渡った先、御廟の拝殿にあたる燈籠堂の背後に立つ、檜皮葺きの宝形造の御堂。大師が自らこの地に廟所を定めたとされ、大師62歳の承和2年(835)、即身成仏となって入定。入定後から現在まで1日2回行われている「生身供[しょうじんぐ]」は御廟の空海に食事を届ける儀式で、大師は今もこの御廟で瞑想しながら救いの手を差しのべているといわれる。
奥之院御廟の前室として、真然[しんぜん]が創建。奥之院参道正面の石段上にあり、弘法大師へ献上するたくさんの灯籠が堂内いっぱいに下げられている。なかでも長和5年(1016)、祈親[きしん]上人が高野山の復興を祈念して献灯した祈親燈は、貧しいお照という娘が髪を切って売り、献じたものと伝えられ、俗称「貧女の一灯」ともいわれる。寛治2年(1088)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれ、絶えることなく燃え続けている。建物は昭和中期の改築で、地下には多数の奉納燈籠が並ぶ「地下法場」もある。
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