高野山霊宝館
高野山の壇上伽藍近くに位置する、高野山内の貴重な文化遺産を収蔵・保存し、公開する施設。大正10年(1921)開設で、国登録有形文化財の本館・放光閣はこの時の建築。本館や大宝蔵、収蔵庫には『八大童子立像(制多伽童子像)』や『仏涅槃図』の国宝21点をはじめ、国指定重要文化財や和歌山県指定文化財、重要美術品など指定文化財約2万8000点を含む約10万点を収蔵。年間を通じて常設展、企画展、大宝蔵展などを行っている。展示中の作品リストはホームページにて掲載している。所要30分。
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高野山の壇上伽藍近くに位置する、高野山内の貴重な文化遺産を収蔵・保存し、公開する施設。大正10年(1921)開設で、国登録有形文化財の本館・放光閣はこの時の建築。本館や大宝蔵、収蔵庫には『八大童子立像(制多伽童子像)』や『仏涅槃図』の国宝21点をはじめ、国指定重要文化財や和歌山県指定文化財、重要美術品など指定文化財約2万8000点を含む約10万点を収蔵。年間を通じて常設展、企画展、大宝蔵展などを行っている。展示中の作品リストはホームページにて掲載している。所要30分。
女人道は高野山の聖地周囲の山々をめぐる尾根伝いの道。明治5年(1872)まで、女性は高野山内への入山が禁じられていたため、やむなく高野七口と呼ばれた山内への入口をたどって、遠く弘法大師の御廟を遥拝するしかなかったのだ。1000m級の山々をつたい、木立を縫う細道が今も残されていて、森林浴を楽しめるハイキングコースとして歩くことができる。女人堂が残る不動坂口から奥の院までの半周コースは、弁天岳に登り、大門前を通って、相浦口、大滝口、大峯口を経て奥の院前へ。
高野山壇上伽藍にあり、堂宇は弘化4年(1847)の再建。弘法大師の御影と10大弟子と祈親[きしん]上人、真然大徳の肖像が安置されている。毎年旧暦3月21日、旧正御影供[きゅうしょうみえく]の法会が行われる。堂の正面に囲いをされた松は、大師が唐から帰る際に、伽藍建立の地を求めて投げた三鈷杵[さんこしょ]がかかったといわれる三鈷の松。拝観は外観のみ。ただし旧暦3月21日の前夜、御逮夜会の時のみ無料内拝可。
高野七口の一つ、不動口に現存する唯一の女人堂。かつて七口すべてにあった女人堂は高野山が女人禁制だったころに、女性が真言をひと晩中唱えていた場所。高野山の外周には女人道があり、女性は峯から峯を巡りながら樹間から垣間見える壇上伽藍や奥の院に手を合わせて参拝したといわれる。明治になって女人禁制が解かれたあとは、参拝者の休憩所に利用された。
父苅萱道心[かるかやどうしん]と母千里[ちさと]姫、その子石童丸の親子の悲劇の物語を絵で紹介する堂で、中にある厄除親子地蔵尊は、道心と石童丸の合作の地蔵と伝えられる。物語は、高野山に出家した父親を追って麓の学文路[かむろ]まで来るが、女人禁制のために母を残し、石童丸だけが入山。修行中の父に、いつわりの父の死を告げられ、学文路に戻るがすでに母は他界。高野山に戻って出家し、実の父とは知らずに苅萱道心について厳しい修行を積んだという。高野聖によって全国に語り伝えられた。所要30分。
源頼朝の菩提を弔うために妻の北条政子が創建。建暦元年(1211)の創建当時は禅定院とよばれていたが、貞応2年(1223)、現在の寺号に改めて、多宝塔(国宝)を建立。鎌倉時代には、高野版とよばれる経典による教学の拠点で、高野山の中心的存在であった。大火の類焼を免れた寺の境内には、運慶作といわれる五智如来坐像(重要文化財)を安置する多宝塔のほか、鎌倉・室町時代の建築物が残る。客殿(重要文化財)は、江戸時代の建築だが、大広間にある襖絵『金地著色梅花雉子図』は雄大華麗な作風が見事で、秘仏の十一面千手観音像、本尊愛染明王像とともに国の重要文化財に指定。寺は宿坊も兼ねており、宿泊者は客殿内部の見学も可。所要1時間。
開山以来、表玄関の役割を果たす高野山一山の総門。九度山町の慈尊院から続く町石道の表参道を上ると、ここからが山内となる。開創当時は現在の位置から500m下の九折谷の谷底に木の鳥居があった。高さ約25mの現在の朱塗の楼門は、宝永2年(1705)に再建されたもの。昭和61年(1986)にも大がかりな解体修理が行われた。大門の両脚に構える高さ4.8mの力強い金剛力士像は、阿形像を仏師康意が、吽形像を法橋運長が造ったとされている。ここからの眺望がよく、晴れた日には山並みの向こうに紀淡海峡から淡路島まで望める。また、大門の左の赤い鳥居から原生林に囲まれた山道を約600m登ると、高野山最高峰の弁天岳に至る。
平安初期に弘法大師が開創した仏教の聖地・高野山。本来の総本山金剛峯寺とは、「一山境内地」といわれるように高野山全体を指すが、壇上伽藍の東北に位置する「総本山金剛峯寺」は、高野山真言宗管長が居住し、高野山全体の宗務を司っている寺院。明治初期に、豊臣秀吉が建立した青巌寺と興山寺が合併し、寺号を金剛峯寺と改め総本山が置かれた。約16万平方mという広大な境内には、檜皮葺きの大屋根を持つ東西54m、南北63mの主殿(本坊)をはじめ、経蔵や鐘楼、別殿、奥殿、阿字観道場などが立ち並ぶ。奥殿の石庭・蟠龍庭が見事。
奥之院とともに高野山の二大聖地とされるのが「壇上伽藍」。真言密教の根本道場のために弘法大師が最初に着手し創建した密教伽藍で、「胎蔵曼荼羅」の世界を表しているといわれている。壇上伽藍の“壇上”は仏様の世界、“伽藍”は諸堂が集まっている場所、という意味をもつ。壇上伽藍境内には、高野山一山の総本堂である金堂を中心に、壇上伽藍のシンボルである根本大塔や弘法大師御影像を奉安する御影堂、大会堂、東塔、西塔など19もの御堂が立ち並んでいる。
弘法大師(空海)が弘仁7年(816)に開いた真言密教の聖地・高野山。その高野山で最も清浄な聖地が大師入定の御廟がある奥之院。奥之院入口となる一の橋(大渡橋[おおばし])から燈籠堂・御廟まで、鬱蒼と茂る杉木立の参道が約2kmに渡って続き、参道沿いには20万基以上もの墓石や供養塔が並び立って戦国大名などの墓を訪ね歩くことができる。玉川に架かる御廟橋を渡ると、拝堂の燈籠堂とその背後に承和2年(835)に入定した大師の御廟が立つ。燈籠堂には貧女の一灯や長者の万灯(白河燈)と呼ばれる常明燈のほか2万基もの献燈が灯り壮観だ。
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