
大乗寺
市街地から南に約3km、加賀前田家歴代の人々や室生犀星が眠る野田山墓地に隣接する曹洞宗の名刹。2万平方mの境内には山門、仏殿(国指定重要文化財)、坐禅堂など禅宗様式の七堂伽藍が整備され、今も数多くの雲水が修行に励み、厳粛な雰囲気が漂う。坐禅の寺として知られ、毎朝の坐禅では一般にも親切な指導がある。
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市街地から南に約3km、加賀前田家歴代の人々や室生犀星が眠る野田山墓地に隣接する曹洞宗の名刹。2万平方mの境内には山門、仏殿(国指定重要文化財)、坐禅堂など禅宗様式の七堂伽藍が整備され、今も数多くの雲水が修行に励み、厳粛な雰囲気が漂う。坐禅の寺として知られ、毎朝の坐禅では一般にも親切な指導がある。
總持寺を開山した瑩山紹瑾[けいざんしょうきん]禅師が能登で最初に開いた庵で、釣鐘が下がる珍しい山門がある。宝物館には弘法大師作とも伝えられる馬頭観音立像、十一面観音立像、聖観音立像があり、いずれも国の重要文化財。大般若経600巻の血書も納められている。拝観の場合は要予約(拝観できない場合あり)。
延喜式に列せられた古社で、創建は紀元前97年。以来、能登一円・日本海の守護神として信仰を集めてきた。境内は3万3000平方mと広大。スダジイ、ヤブツバキなど約250種の原生林が生い茂り、国の天然記念物に指定されている。この鬱蒼とした森に囲まれて拝殿や本殿が立つ。宝物館には5体の木造男神像(重要文化財)を安置。鎌倉時代後期の衣冠束帯の坐像で、5体の異なった表情がおもしろい。源義経が奉納した蝉折の笛や武蔵坊弁慶が奉納した守刀、古文書なども納められている。キリコ館では日本最大のジャンボキリコ4本を拝観可。
白萩の寺として知られる、大聖寺藩歴代藩主前田家の菩提寺。藩主の謁見の間として造られた書院があり、禅宗様式を取り入れた格調の高い構造で、築山池泉式の庭園が望める。本堂、御霊屋、座禅堂のほか、十六羅漢堂には文政3年(1820)に造られたという像が静かにたたずんでいる。山頂広場には大聖寺藩歴代藩主(初代から14代)の墓が一堂にあり、初代利治の墓の側には、追腹を切った3人の家臣の墓もある。
鬼子母神を祭る寺で、子授けや安産を願う参拝者が多い。泉鏡花も幼い頃、母と参拝に訪れたという。人形塚があることから人形寺とも呼ばれ、毎年4月29日には人形供養会が行われる。初夏には、境内のザクロが赤い花をつけ美しい。歌舞伎役者の初代中村歌右衛門の墓、加賀蒔絵の祖五十嵐道甫[どうほ]の墓碑もある。
一般に七稲地蔵[なないねじぞう]の名で通っているとおり、境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。安政5年(1858)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる泣き一揆が起こった。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったもの。
加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場だ。金沢市指定眺望点。
全国唯一の難関突破の守護神を祀っている神社。関所を無事通過できた義経一行も参拝したとか。巫女さんによる安宅の関の無料ガイドも。
約1400年前に疫病を鎮め災厄を祓うために宮中から遷座し、旧越前国三ノ宮、現在、加賀国二ノ宮、全国の斉藤家の氏神としても知られている。その由緒から古来朝廷をはじめ武家からも篤く崇拝され、前田家歴代藩主からも多くの寄進を受けた。特に徳川秀忠とお江の方の子で前田利常の正室となった珠姫から崇敬されていたため、貴重な品も多く残っている。参拝や解説、宝物拝観なども可(要予約)。また、7月は祓のまつりの「天神講」、2月は願いのまつりの「御願神事」が行われる。
国指定重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ、縁結びの大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀る神社で、万葉の歌、大伴家持も参詣した能登一宮。社殿背後には2100年の歴史を伝える氣多大社社叢(天然記念物)「入らずの森」が広がっている。前田利家公とまつが祟敬した国幣大社。
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