梅ノ橋
浅野川にかかる長さ63mの歩行者・自転車専用の木造の橋。明治43年(1910)に架けられたのが始まりで、現在の橋は昭和53年(1978)の再建。国登録有形文化財の浅野川大橋の東隣に架かるこの橋の周辺は、泉鏡花の著書『義血侠血』の舞台でもある地。浅野川大橋から梅ノ橋、天神橋へと至る川沿いの道は「鏡花のみち」と名付けられ、作品に登場する滝の白糸碑、ヒロイン滝の白糸をイメージした像なども立つ。夜はライトアップが美しい。
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浅野川にかかる長さ63mの歩行者・自転車専用の木造の橋。明治43年(1910)に架けられたのが始まりで、現在の橋は昭和53年(1978)の再建。国登録有形文化財の浅野川大橋の東隣に架かるこの橋の周辺は、泉鏡花の著書『義血侠血』の舞台でもある地。浅野川大橋から梅ノ橋、天神橋へと至る川沿いの道は「鏡花のみち」と名付けられ、作品に登場する滝の白糸碑、ヒロイン滝の白糸をイメージした像なども立つ。夜はライトアップが美しい。
風雅な雰囲気が漂う総檜造りの橋。下から見上げる景色は絶好の撮影ポイントで、新緑に紅葉、雪景色と、四季折々に美しい。現在の橋は4代目になる。
浅野川大橋は、大正11年(1922)に浅野川に架けられた西洋風のめがね橋。最初の橋は加賀藩祖・前田利家が架けたものだといい、現在は国道157号線上にあって、大正時代から昭和41年(1966)までは橋上に市電が走っていた。橋長は約55m、幅約17m。鉄筋コンクリート造の3径間連続アーチ橋で、唐草模様付きの格子高欄や復刻されたレリーフ、レトロ調の五灯式あんどん型照明など、昼も夜も雰囲気がある。平成12年(2000)、国登録有形文化財に登録された。
七尾湾に浮かぶ能登島と和倉温泉にほど近い七尾市石崎町を結ぶ全長1050mの橋。開通は昭和57年(1982)で、石川県で最も長い道路橋として知られる。橋の開通後、のとじま水族館や石川県能登島ガラス美術館などが次々に建設され、島の観光地化が進んだ。当初は有料だったが、平成10年(1998)に無料化が実現。翌平成11年(1999)には七尾市中島町との間に、全長620mのツインブリッジのと(中能登農道橋)も開通。それぞれ美しいフォルムをたたえ、能登島観光に外せないみどころになっている。徒歩による通行もできるので、記念撮影にぜひ。
天神橋から中の橋の左岸にある約600mの道。ここは、浅野川大橋のたもとに生まれた泉鏡花が幼い頃を過ごした場所であり、また、天神橋は鏡花の小説『義血侠血[ぎけつきょうけつ]』の舞台になったところでもある。途中にはゆるやかに弧を描く木造の梅ノ橋が架かる。人が通るために渡された風情ある橋で、そのたもとには『義血侠血』のヒロイン・滝の白糸の碑と像が立っている。
山中温泉街に沿って流れる大聖寺川に架かる石橋。この橋から上流のこおろぎ橋までの約1.3kmは、「鶴仙渓」と呼ばれる新緑・紅葉の美しい渓谷が続く。現在の橋は、昭和10年(1935)に木造から石造りに架け替えられたもの。木々の間に見えるアーチが美しい。山中を訪れた芭蕉も、「行脚の楽しみ、ここにあり」と言ったといわれるように、この橋上から見る渓谷美は見事だ。
作家・島田清次郎が幼い頃移り住み、小説『地上』の舞台ともなった吉米楼をその跡地に再現した資料館。1階は大正時代を彷彿とさせる室内に清次郎の関係資料を展示。2階は客をもてなすための座敷で、太鼓や三味線などが置かれ当時の華やかな雰囲気がうかがえる。所要15分。
海の駅・六銘館は6つの店が入った物産館。ちゃーちゃんの能登牛串焼き、輪島塗や地酒、水産加工品の店、カフェ、釣具屋も加わって貸し竿もはじまり、500円でセグウェイの体験もできる。
緑の中で赤紫色がひときわ目を引く。その名の通りあやとりを思わせるS字のモダンなデザイン。夜のライトアップも見ごたえあり。
河北潟放水路に架かる全長344mの橋。白鳥が舞い降りた姿と雪吊りをイメージして造られた直線美が印象的。夜間はライトアップされ、内灘町のランドマークとなっている。
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