六斗の広見
広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちにあった。地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
- 「野町駅」から徒歩8分/「西泉駅」から徒歩24分
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広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちにあった。地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
文政3年(1820)に町割を改めお茶屋を集めたのが始まり。伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠と呼ばれる格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。お茶屋は一見[いちげん]さんはお断りだが、夕方になると三味線や太鼓の音が静かに流れてくる。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。
明治2年(1869)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる。
天神橋から中の橋の左岸にある約600mの道。ここは、浅野川大橋のたもとに生まれた泉鏡花が幼い頃を過ごした場所であり、また、天神橋は鏡花の小説『義血侠血[ぎけつきょうけつ]』の舞台になったところでもある。途中にはゆるやかに弧を描く木造の梅ノ橋が架かる。人が通るために渡された風情ある橋で、そのたもとには『義血侠血』のヒロイン・滝の白糸の碑と像が立っている。
金沢城公園の石川門から大手堀方向へと続く散歩道。徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像や白鳥像など、21体もの彫刻が行き交う人を出迎えてくれる。
能登半島の能都町の富山湾に面した東西1km、南北1.5kmの小さな湾。大小の入江が続くリアス式海岸で、海岸線は13kmも。入江が九十九を数えるとして九十九湾の名があり、日本百景の一つに数えられる。湾の中央にはスダジイに覆われた蓬茉島が浮かび、弁財天が祀られている。海岸線には九十九湾遊歩道や石川県のと海洋ふれあいセンターが整備され、ホテルやキャンプ場なども点在。湾内では遊覧船が運航し、箱庭のような海岸線美を楽しめる。
犀川大橋を渡り、寺町側橋詰から上がる坂。加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年(1733)の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。国の重要伝統的建造物群保存地区に一部選定されている。
室町時代の物々交換から始まったといわれる飯田の朝市。飯田町の繁華街・大町通りで開催され、毎月2と7の付く日に市が立つので、別名を「二・七の朝市」という。能登では輪島の次に賑わいを見せるといわれるが、露店も2~3軒、多いときで5~6軒ほどと規模はそれほど大きくない。ここでは民芸品や土産品などは見られず、キュウリ・トマト・大根といった野菜類を中心に、花や漬物などといった生活密着型の品物が並んでいる。地域に根ざした市で、その分素朴な雰囲気が楽しめる。
能登金剛の景観を海上から堪能できる遊覧船。日本海の荒波が数千年かけて侵食した穴が圧巻の巌門や高さ27mの塔状の鷹の巣岩、義経と弁慶が囲碁を楽しんだと伝わる碁盤島など、能登金剛の奇岩や荒々しい景観は迫力満点。所要約20分。
主要観光スポットを押さえたコミュニティバス。道の駅輪島ふらっと訪夢を起点に海、鯨、档、漆、城兼の5コースが巡回し、輪島塗の器のマークが付いたバス停で乗降可能。
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