吉田松陰誕生地
玉木文之進旧宅前の坂を上った、萩市街を眼下に見下ろす高台。家はすでにないが、跡地横に松陰と弟子の金子重輔が下田沖の黒船を眺めている銅像が立つ。近くに、松陰とその一族、高杉晋作、久坂玄瑞らの墓がある。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
玉木文之進旧宅前の坂を上った、萩市街を眼下に見下ろす高台。家はすでにないが、跡地横に松陰と弟子の金子重輔が下田沖の黒船を眺めている銅像が立つ。近くに、松陰とその一族、高杉晋作、久坂玄瑞らの墓がある。
延宝元年(1673)、吉川広嘉によって架けられた、アーチが美しい五連の木造橋(名勝)。長さ193.3m、幅5mで木組みの技法で造られており、日本三名橋のひとつといわれている。春は桜、夏は鵜飼、秋は城山の自然林の紅葉、冬は雪化粧と、「錦」の名の通り、四季折々の色彩豊かな景観が楽しめる。
明治12年(1879)に建てられた、山口県内最古級の擬洋風建築。外国との海上交通で栄えた地ならではの凝った造り。窓にはフランス製のステンドグラス、3階の壁には唐獅子牡丹の漆黒彫刻、4階天井には鳳凰漆黒彫刻が残る。併設の上関町郷土史学習館では四階楼に関する資料の展示のほか、上関町の歴史をパネルや映像で紹介している。
慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた城。指月山麓の平城[ひらじろ]と山頂の山城[やまじろ]を併せた平山城で、本丸には5層の天守があったが、明治7年(1874)にすべての建物を解体。現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめている。旧本丸跡は指月公園として整備されており、春は600本余の桜の名所として親しまれている。萩でしか見ることのできない珍しい桜、天然記念物ミドリヨシノは必見。
明治36年(1903)に長府毛利家14代当主、元敏[もととし]公が建てた邸宅で、明治天皇の行在所[あんざいしょ]としても使用された。武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた書院庭園、池泉回遊式庭園、枯山水庭園の3つの庭があり、日本庭園を眺めながら抹茶をいただくこともできる(菓子付き、有料)。
吉香公園背後、標高200mの城山山頂にそびえる天守は、桃山風南蛮造で3層4階の上に物見を置く珍しいもの。天守閣からは吉香公園、城下町、錦帯橋や岩国市内を一望することができる。天気が良い日には、宮島をはじめとする瀬戸内海の島々も眺めることができる。
中也の代表作の一つである『童謡』の詩碑が立つ。書は中也の自筆原稿から写し取ったものだ。すぐ隣には、湯田温泉で一時期を過ごした種田山頭火のユニークな句の石碑も建てられている。これらの碑が面した錦川通りは、湯田温泉のかつてのメインストリートにあたる。
藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷。庭園の池に引き込んだ川の水を、さらに台所と風呂場の「ハトバ」(階段を設けて水に近づけるようにした場所)に流し入れて洗いものや入浴に利用するなど、典型的な藍場川沿いの家の水の利用法が見られる。
吉香公園内にある、18世紀中ごろに建てられた170石取りの藩士の屋敷。入母屋造で一部2階建て、屋根には岩国独特の瓦である両袖瓦が葺かれており、式台付きの玄関や中間部屋などがある。中級武家屋敷がほぼ完全な形で残っているのは珍しく、国の重要文化財に指定されている。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』は湯野出身の弘中又一がモデルといわれている。夜市川ほとりには彼の幼少期をモチーフにした釣りをする坊っちゃん像が佇む。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。