乃木神社
明治天皇の崩御により殉死した将軍・乃木希典[まれすけ]と夫人を祀った神社。境内には乃木大将が10歳から16歳まで過ごした家が復元され、夫妻の銅像や遺品などを収蔵する宝物館などがある。
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明治天皇の崩御により殉死した将軍・乃木希典[まれすけ]と夫人を祀った神社。境内には乃木大将が10歳から16歳まで過ごした家が復元され、夫妻の銅像や遺品などを収蔵する宝物館などがある。
源平の戦いでは源義経が戦勝祈願をし、明治維新では高杉晋作の奇兵隊の結成など、歴史上の大きな転換点を見守ってきた由緒ある神社。目印の長い階段を昇ると拝殿にたどり着く。義経をモチーフにした勝守[かちまもり]がある。
寿永4年(1185)、壇之浦の戦いに敗れて入水した平清盛の孫・安徳天皇を祀る。二位の尼(清盛の妻)は、8歳の天皇に「波の下にも都の侍ふぞ」と言い聞かせて壇之浦で入水したという。朱塗りの水天門はその「波の下の都」を思わせる華やかな龍宮造。隣接地に安徳天皇御陵、境内には平家の武将の墓碑・七盛塚[ななもりづか]、小泉八雲の『怪談』で有名な耳なし芳一の像を安置する芳一堂、『紙本墨書平家物語20冊』(重要文化財)などを収蔵する宝物館がある。
元応2年(1320)に創建された古刹。仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築。毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した。幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が藩論統一(倒幕と維新に至る)を目指して決起した地としても知られる。境内には馬上姿の晋作像が立つ。春の桜、秋の紅葉が美しい。
平安時代の貞観元年(859)に宇佐神宮から勧請され、関の氏神として親しまれている。豊臣秀吉ゆかりの「太閤蘇鉄」や下関特産のフグを象った「ふくの像」、山口県出身の金子みすず、林芙美子文学碑など見どころも多い。
第14代仲哀天皇、神功皇后が九州平定の際ここに豊浦宮を建て、7年滞在したといわれる。毎年8月7日から7日間、天下の奇祭といわれる数方庭[すほうてい](山口県無形民俗文化財)を開催。竹ののぼりを持ち、練り歩く様子が見られる。
宗隣寺は奈良時代に唐僧の為光和尚が開き、江戸中期に宇部領主の福原氏15代広俊が再興した臨済禅の名刹。本堂北側にある龍心庭は、南北朝時代に築かれた山口県下最古の庭園で、国名勝に指定されている。小石を敷き詰めた池の浅瀬は干潟様と称し、古庭園では岩手県・平泉の毛越寺とここにしか現存しない学術上貴重なものだ。
貞観元年(859)に創建され、宇部の守り神として多くの人々で賑わう。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、宗像三女神を祭神とし、交通安全、安産育児、縁結びなどに御利益があるといわれる。現在もなお県民から「はちまんさま」と親しまれ、初詣や宮参り、七五三など年間を通して参拝者が多い。お守りの種類が987種ある。
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
湯田温泉街の北西約4kmの山あいに立つ、約1300年前に役行者[えんのぎょうじゃ]が開いたと伝わる古刹。宝物庫に安置された木造大日如来坐像(重要文化財)は、藤原中期の作で檜の寄木造り。境内には高さ45mの大イチョウ(天然記念物)や3段に落ちる鼓の滝があり、ボタンやシャクナゲなど四季折々に咲く花も美しい。2日前までに予約すれば、精進料理の真言密教膳(薬膳)3300円~も食べられる。
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