円政寺
もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が度胸をつけたという大天狗面や遊んだ木馬(神馬)などが残る。山口県下最大級の石灯籠、国内最大級の銅鏡も必見。石鳥居、金毘羅社社殿は萩市指定有形文化財である。
- 「玉江駅」から徒歩25分
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もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が度胸をつけたという大天狗面や遊んだ木馬(神馬)などが残る。山口県下最大級の石灯籠、国内最大級の銅鏡も必見。石鳥居、金毘羅社社殿は萩市指定有形文化財である。
「西の伊勢神宮」ともよばれる古社。永正17年(1520)、大内氏30代の義興が伊勢神宮の御神霊を勧請して創建した。伊勢と同様に天照皇大神を祀る内宮と、豊受大神を祀る外宮があり、平成12年(2000)に遷宮された社殿は、白木がすがすがしい。付近には五十鈴川、伊勢橋、伊勢門前などの地名も残る。
第14代仲哀天皇、神功皇后が九州平定の際ここに豊浦宮を建て、7年滞在したといわれる。毎年8月7日から7日間、天下の奇祭といわれる数方庭[すほうてい](山口県無形民俗文化財)を開催。竹ののぼりを持ち、練り歩く様子が見られる。
応永の乱で戦死した大内氏25代義弘の菩提を弔うため、弟の26代盛見が建立を計画。嘉吉2年(1442)頃に完成した。高さは31.2m。大内文化を伝える貴重な建造物で、国宝に指定されている。上層ほど塔身が細くなるすらりとした立ち姿と、檜皮葺屋根の伸びやかな反りが美しく、日本三名塔の一つに数えられる。五重塔が立つ瑠璃光寺境内は香山公園と呼ばれ、春の梅や桜に始まり、新緑、ツツジ、紅葉、雪景色と四季折々の風情も格別。五重塔を紹介する展示が充実している瑠璃光寺資料館にも立ち寄りたい。
永享2年(1430)大内氏の重臣として仕えていた陶盛政が、陶氏の菩提寺として創建。境内には本堂や開山堂などの伽藍が立ち並ぶなか、陶氏一族の墓が残されている。また、寺に伝わる長穂念仏踊は県無形民俗文化財に指定されている。
萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
約600年もの歴史をもつ山口県下屈指の名刹。総檜造りの本堂を、平安時代様式の曲水の庭や鎌倉時代様式の蓬莱山池庭など、さまざまな時代様式の日本庭園が取り囲む。
推古天皇30年(622)に御神霊をここに奉安したのが起源とされ、和同元年(708)に社殿を造営したのを創建とする。周南市文化財に指定されている鐘は、源平合戦の際に流れ矢が当たったとされる鎌倉時代のもの。本殿は国の登録有形文化財指定。隣接の遠石会館では結婚式・披露宴も行え、カフェもある。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
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