旧山口藩庁門
長州藩13代毛利敬親[もうりたかちか]が幕末の有事に備え、藩政の中心地を萩から山口へ移転。藩主住居の表門として石門が完成したが、第1次長州征討の際に破却された。明治維新後、改めて建設された藩庁門が山口県庁に現存。県指定重要文化財である。
- 「上山口駅」から徒歩21分
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長州藩13代毛利敬親[もうりたかちか]が幕末の有事に備え、藩政の中心地を萩から山口へ移転。藩主住居の表門として石門が完成したが、第1次長州征討の際に破却された。明治維新後、改めて建設された藩庁門が山口県庁に現存。県指定重要文化財である。
吉田松陰の父・杉百合之助の末弟・玉木文之進の家。松下村塾は文之進が天保13年(1842)に近くの師弟を集め、ここで学問を教えたのが始まりで、邸内には松下村塾発祥の地碑が立つ。
港の警備、見張りのほか、越荷会所であつかう積荷の検査や税金の徴収を行っていた番所で、寛永9年(1632)に長島南西端の四代に置かれていたが、番所の老朽化と上関港の発展に伴い、正徳元年(1711)に朝鮮通信使のために建てた仮番所を公儀に願出、永久番所として四代から上関に移した。平成8年(1996)、高台である当時熊毛南高等学校上関分校(現在は廃校)の運動場横に移築された。山口県指定有形文化財である。
大内氏28代教弘[のりひろ]をたよって山口へ来た画聖・雪舟が一時期過ごした庵の跡。国宝に指定されている雪舟の水墨画『四季山水図』(防府の毛利博物館所蔵)はここで描かれたといわれている。現在の建物は明治37年(1904)に郷土史家たちが古材を集めて復元したもの。
明治12年(1879)に建てられた、山口県内最古級の擬洋風建築。外国との海上交通で栄えた地ならではの凝った造り。窓にはフランス製のステンドグラス、3階の壁には唐獅子牡丹の漆黒彫刻、4階天井には鳳凰漆黒彫刻が残る。併設の上関町郷土史学習館では四階楼に関する資料の展示のほか、上関町の歴史をパネルや映像で紹介している。
明治10年(1877)に開業し、地元出身の歴代首相や大臣経験者や文人などが多く利用、山口の迎賓館とよばれた元料亭・祇園菜香亭を移築し再現した施設。
吉香公園内にある、元禄期の建築と伝えられる旧岩国藩家老香川家の門。上級武家の屋敷のたたずまいを伝えている。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区」。その江戸時代の白壁の商家の家並みが続く通りにある資料館は、「室屋」の屋号をもち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用したもの。元禄14年(1701)に建築された屋敷はこの町で最も古く、屋敷面積2561平方m、建坪1500平方mは現存する町屋で国内最大級。館内には小田家が使用していた商いの道具や生活用品を多数展示。山口県有形民俗文化財。所要30分。
吉香公園内にある、18世紀中ごろに建てられた170石取りの藩士の屋敷。入母屋造で一部2階建て、屋根には岩国独特の瓦である両袖瓦が葺かれており、式台付きの玄関や中間部屋などがある。中級武家屋敷がほぼ完全な形で残っているのは珍しく、国の重要文化財に指定されている。
御手洗湾に面した公園には、復元されたみたらい灯籠堂、山頭火の句碑『わがままな旅の雨にぬれてゆく』が立つ。
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