みもすそ川公園
かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。
- 「関門海峡めかり駅」から徒歩19分/「ノーフォーク広場駅」から徒歩22分
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かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。
玉木文之進旧宅前の坂を上った、萩市街を眼下に見下ろす高台。家はすでにないが、跡地横に松陰と弟子の金子重輔が下田沖の黒船を眺めている銅像が立つ。近くに、松陰とその一族、高杉晋作、久坂玄瑞らの墓がある。
国衙とは、古代律令国家が諸国に置いた役所のこと。律令制の衰退に伴い姿を消していったが、鎌倉時代初期に東大寺再建の造営料国となった周防国の国衙は、現在まで遺構が残されてきた稀有の例。広大な跡地は国史跡に指定、一角に石碑が立つ。
永代家老に次ぐ寄組という役職にあった口羽家の屋敷で、旧三の丸の、橋本川と常盤島を望む一等地に立つ。毛利家江戸藩邸の門を移したと伝えられている表門(重要文化財)は桁行22.2m、梁間4.9mのなまこ壁が美しく、萩に現存するものとしては最も雄大な規模を有する長屋門。両脇部分には馬小屋や門番所などがある。主屋(重要文化財)は桟瓦葺き屋根の平屋で、座敷と奥座敷の間に武者隠しと見られる2畳の「相の間」[あいのま]が設けられているのが特徴だ。
楊貴妃が漂着したという伝説にちなんで、二尊院周辺を整備した公園。大理石製の楊貴妃像や中国風のあずまやが立つ。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』は湯野出身の弘中又一がモデルといわれている。夜市川ほとりには彼の幼少期をモチーフにした釣りをする坊っちゃん像が佇む。
松陰神社境内にあり、吉田松陰の叔父、玉木文之進[たまきぶんのしん]が開いた私塾。もともとは松陰の実家の物置だった建物で、和室2間に土間が付いただけの簡素なもの。松陰が指導にあたったのは、謹慎していた幽囚室から通算2年余りだが久坂玄端[くさかげんずい]、高杉晋作、伊藤博文など、明治維新の原動力となった逸材を多く輩出した。
安政5年(1858)に萩藩が鉄製の大砲製作のために建設した、西洋式金属溶解炉(史跡)。本体は解体され、下部が玄武岩、上部がレンガ積みの高さ11.5mの煙突だけが残る。薩摩藩や水戸藩などがあいついで建設したが、現存するのは、ここと静岡県伊豆韮山の2基のみだ。
山県有朋は天保9年(1838)に生まれ、松下村塾に学び、高杉晋作率いる奇兵隊に参加、軍監となり頭角を現して、数々の戦いで戦功を立てる。明治維新後は陸軍大輔となって近代陸軍の基礎づくりに尽力。後に明治政府の高官となり、首相2回、枢密院議長などを歴任した。誕生地である橋本川畔の一角に、大きな石碑が立っている。
城下町の名残りを色濃くとどめる通り。なかでも代々藩医を務めた菅家の重厚な長屋門は、太い格子の武者窓や38mもの長い練塀など、建築当時の形を完全に残した貴重な建物だ。
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