
周防国衙跡
国衙とは、古代律令国家が諸国に置いた役所のこと。律令制の衰退に伴い姿を消していったが、鎌倉時代初期に東大寺再建の造営料国となった周防国の国衙は、現在まで遺構が残されてきた稀有の例。広大な跡地は国史跡に指定、一角に石碑が立つ。
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国衙とは、古代律令国家が諸国に置いた役所のこと。律令制の衰退に伴い姿を消していったが、鎌倉時代初期に東大寺再建の造営料国となった周防国の国衙は、現在まで遺構が残されてきた稀有の例。広大な跡地は国史跡に指定、一角に石碑が立つ。
大内氏28代教弘[のりひろ]をたよって山口へ来た画聖・雪舟が一時期過ごした庵の跡。国宝に指定されている雪舟の水墨画『四季山水図』(防府の毛利博物館所蔵)はここで描かれたといわれている。現在の建物は明治37年(1904)に郷土史家たちが古材を集めて復元したもの。
萩藩士として大組(300石)に属していた奥平家の表門は、市の指定有形文化財になっている。建築技法などから19世紀初頭のものとされ、全体の門構えや出格子など往時の形態をよく残している。西に面した表門は寄棟造、桟瓦葺きで、桁行約28m、梁間5mの長い建物。道路に面した西側には4カ所の出格子窓があり、腰部は下見板張り、上部は外大壁。外観のみ見学可。
大正4年(1915)に建てられた、下関市指定有形文化財。日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」の構成文化財のひとつ。外観は洋風だが2・3階は書院造りの和室で、屋上には日本庭園や茶室があるというユニークな造り(屋上庭園は非公開)。
城下町の名残りを色濃くとどめる通り。なかでも代々藩医を務めた菅家の重厚な長屋門は、太い格子の武者窓や38mもの長い練塀など、建築当時の形を完全に残した貴重な建物だ。
大正9年(1920)に三井銀行下関支店として竣工し、歴史的価値から山口県の有形文化財に指定されている。平成20年(2008)11月からは、銀行史資料や山口県の伝統工芸品などの展示棟と併せて「やまぎん史料館」として、一般公開されている。
その傑出した行動力から「幕末のカリスマ」と称される高杉晋作は、萩藩大組士・高杉小忠太の長男としてここで生まれた。当時の旧宅の一部が現存し、屋敷の前には晋作が浸かったという産湯の井戸もある。晋作自作の歌を刻んだ句碑や自筆の書の複写、当時の茶道具などのゆかりの品を展示している。
大正14年(1925)に建てられた洋館建築の萩駅舎を改装した資料館。旧待合室では萩の自然や歴史、観光名所などをビデオなどで紹介。旧事務室では、萩出身でわが国に初めて鉄道を敷いた井上勝をパネルで紹介し、鉄道関係の資料を展示している。所要20分。登録有形文化財。
幕末の当時、日本屈指の蘭学医であった青木周弼は、13代藩主・毛利敬親[もうりたかちか]に召し出され、敬親の侍医を務めた人物。周弼宅には、全国から教えを乞う門下生が続々と集まったため、安政6年(1859)にこの家が新築された。
平成22年(2010)10月に、萩市では初めての高杉晋作の銅像が登場。以来、多くの観光客、幕末ファンが立ち寄る公園となっている。
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