
山口銀行旧本店(やまぎん史料館)
大正9年(1920)に三井銀行下関支店として竣工し、歴史的価値から山口県の有形文化財に指定されている。平成20年(2008)11月からは、銀行史資料や山口県の伝統工芸品などの展示棟と併せて「やまぎん史料館」として、一般公開されている。
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大正9年(1920)に三井銀行下関支店として竣工し、歴史的価値から山口県の有形文化財に指定されている。平成20年(2008)11月からは、銀行史資料や山口県の伝統工芸品などの展示棟と併せて「やまぎん史料館」として、一般公開されている。
菊ケ浜の東にある高さ3m、幅12m、長さ50mほどの土塁。文久3年(1863)5月の攘夷決定の日、長州藩は下関の馬関[ばかん]砲台から外国船を砲撃したが、大反撃を受けて敗退。地元への報復を恐れた藩は、菊ケ浜に土塁を築いた。現在残るのはその一部。築塁には留守を守っていた多くの女性が参加したため「女台場」とよばれている。
大正14年(1925)に建てられた洋館建築の萩駅舎を改装した資料館。旧待合室では萩の自然や歴史、観光名所などをビデオなどで紹介。旧事務室では、萩出身でわが国に初めて鉄道を敷いた井上勝をパネルで紹介し、鉄道関係の資料を展示している。所要20分。登録有形文化財。
敵の侵入に備えて道を鍵の手にし、両側を高い塀で囲んだ平安古の鍵曲。堀内地区の鍵曲と並んで、重要伝統的建造物群保存地区に指定。現在も武家屋敷や長屋門などが残り、当時の面影をよく伝えている。橋本川沿いのこのエリアも夏ミカンの木が多く、土塀の上から顔を除かせる黄色い実が古い町並みによく似合う。近くにある元内閣総理大臣・田中義一氏の別邸は、明治時代に夏ミカンの栽培を奨励した小幡高政の屋敷だった。ボランティアガイドが常駐しているので、夏ミカンの歴史なども聞いてみよう。
江戸時代の牢獄跡で、野山獄が士分の者、岩倉獄が庶民用だった。安政元年(1854)、下田からアメリカに密航を企てて失敗した吉田松陰は野山獄に、門弟の金子重輔[かねこしげのすけ]は岩倉獄につながれた。岩倉獄跡には、重輔絶命の碑と松陰が重輔に贈った詩碑が立つ。
唐戸洋館のひとつ。レンガ造りの外壁は厚さ60cmもあり、どっしりとした風格。明治33年(1900)に建てられた市内最古の西洋建築で、国内の現役郵便局舎最古の建物でもある(国登録有形文化財)。施設内には資料を展示。カフェを併設したギャラリーもある。入口には懐かしい円筒型ポストが置かれているので、旅の思い出にハガキを出してみては。夜はライトアップ(日没~22時)も行われる。日本遺産の構成文化財にも選ばれている。
高杉晋作没後90年を記念して造られた備前焼の陶像が関門海峡を見わたすように建っており、桜の名所としても知られている。車で近くまで行けるが、長くて急な階段を登りきって眺めると感動も増す。
かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。
大正4年(1915)に建てられた、下関市指定有形文化財。日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」の構成文化財のひとつ。外観は洋風だが2・3階は書院造りの和室で、屋上には日本庭園や茶室があるというユニークな造り(屋上庭園は非公開)。
長府藩お馬廻り役220石取りの武家の長屋。桁行き8間、梁間2間。反りを付けた屋根がふかれた建物は、江戸時代後期の武家長屋の典型的なものだ。城下町長府の中央を流れる壇具川沿いに立つ。
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