
長門國一宮 住吉神社
住吉神社は神功[じんぐう]皇后の創建と伝わる長門國一の宮。緑に包まれた境内には厳かな雰囲気が漂う。室町時代初期の武将・大内弘世が応安3年(1370)に造営した本殿は九間社流造の珍しい造りで国宝。国指定重要文化財で一重切妻造、檜皮葺きの拝殿は室町時代末期の戦国大名・毛利元就が造営したもの。住吉大神を主神に祭り、厄払いや開運などにご利益があるとして祈願に訪れる人が多い。祈願は7000円から志しで。
- 「新下関駅」から徒歩17分
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住吉神社は神功[じんぐう]皇后の創建と伝わる長門國一の宮。緑に包まれた境内には厳かな雰囲気が漂う。室町時代初期の武将・大内弘世が応安3年(1370)に造営した本殿は九間社流造の珍しい造りで国宝。国指定重要文化財で一重切妻造、檜皮葺きの拝殿は室町時代末期の戦国大名・毛利元就が造営したもの。住吉大神を主神に祭り、厄払いや開運などにご利益があるとして祈願に訪れる人が多い。祈願は7000円から志しで。
第14代仲哀天皇、神功皇后が九州平定の際ここに豊浦宮を建て、7年滞在したといわれる。毎年8月7日から7日間、天下の奇祭といわれる数方庭[すほうてい](山口県無形民俗文化財)を開催。竹ののぼりを持ち、練り歩く様子が見られる。
萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
指月山善福寺は永享年間(1429~1440)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移された。大内義隆が当寺に与えた文書を所蔵しているが、萩の地名が記されており、これは萩の地名が書かれた最古の文書と言われている。また、境内には胴にマリア像が彫られたキリシタン燈籠がある。
長府毛利家3代綱元が元禄11年(1698)に創建した長府毛利家菩提寺。日本画の巨匠・狩野芳崖、乃木将軍の銅像があり、付近は和銅元年(708)鋳造の貨幣、和同開珎の鋳銭所跡(史跡)で、古銭やフイゴなどが発見された。
常念寺界隈から熊谷美術館あたりにある寺町。このように寺院が密集する寺町も城下の守りのひとつだ。寺院は戦闘の際、兵舎に代わるものとして考えられ、張りめぐらされた土塀や、堅固な建物は、単に寺の威信だけではなく、いざという場合のことも考慮して造られている。城下町の守りの堅さを偲ばせる。
平安時代の貞観元年(859)に宇佐神宮から勧請され、関の氏神として親しまれている。豊臣秀吉ゆかりの「太閤蘇鉄」や下関特産のフグを象った「ふくの像」、山口県出身の金子みすず、林芙美子文学碑など見どころも多い。
高杉晋作の発起により創建された日本初の招魂場。境内には吉田松陰・高杉晋作をはじめ無名の志士も当時の身分制度に関わらず平等に祀られている。この考えが靖国神社のもとになったといわれている。
元応2年(1320)に創建された古刹。仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築。毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した。幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が藩論統一(倒幕と維新に至る)を目指して決起した地としても知られる。境内には馬上姿の晋作像が立つ。春の桜、秋の紅葉が美しい。
源平の戦いでは源義経が戦勝祈願をし、明治維新では高杉晋作の奇兵隊の結成など、歴史上の大きな転換点を見守ってきた由緒ある神社。目印の長い階段を昇ると拝殿にたどり着く。義経をモチーフにした勝守[かちまもり]がある。
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