
旧松阪家住宅
薪問屋、石炭問屋、製塩業、醸造業を営んでいた豪商の家。唐破風の円みを帯びた屋根、菱格子に塗籠の窓彫りをはめ込んだ出格子など、江戸末期の重厚華麗な浜旦那[はまだんな]の家として公開されている。
- 「竹原駅」から徒歩13分
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薪問屋、石炭問屋、製塩業、醸造業を営んでいた豪商の家。唐破風の円みを帯びた屋根、菱格子に塗籠の窓彫りをはめ込んだ出格子など、江戸末期の重厚華麗な浜旦那[はまだんな]の家として公開されている。
原爆により亡くなった佐々木禎子さんの同級生のよびかけにより建てられた像。今も世界中から折り鶴が届く。
旧広島地方気象台の庁舎を利用した気象博物館。2階体験コーナーでは、秒速5m、15m、20mの風を体験したり、雲の中に入る体験や30万ボルトの落雷実験が見られるなど、気象の不思議を体感できる。館が独自に発表する予報作業の様子も興味深い。本館は被爆建物であり、広島市指定重要有形文化財でもある。
和船の建造は砂浜で行われていたが、倉橋島では18世紀半ばに入江を改良した船渠を考案。潮の干満を利用して船を上げるもので、明治期に西洋型船も修理できるよう修築された。
広島県の建物百選にも名を連ねる昭和初期の木造洋風建築。頼春水の師で、江戸中期の儒学者・塩谷道碩[しおたにどうせき]の屋敷跡に立つ。竹原の塩田関連の資料を中心に歴史、文化、民俗資料を展示。レトロでモダンな洋館が古い町並みに映える。所要20分。
永禄10年(1567)毛利元就の三男・小早川隆景が築いた平城の遺構。本丸をはじめ32の隅櫓、14の城門を築き、海に向かって開かれた船入と街道の入口に寺を配して、町全体が城郭兼軍港の機能を備えていた。現在は本丸跡をJR山陽本線が貫き石垣と濠が往時の名残をとどめる。
元和8年(1622)徳川家康の従兄弟・水野勝成[みずのかつなり]が福山十万石の領主となって築城。天守閣は昭和41年(1966)の再建で、博物館として公開している。京都の伏見城から移築されたという伏見櫓(重要文化財)と筋鉄御門[すじがねごもん](重要文化財)は往時の遺構。令和4年(2022)令和の大普請では全国で唯一となる天守北側壁面の鉄板張りが復元された。
15世紀後半には毛利氏の城として存在が確認されており、西日本最大級の戦国大名へとのし上がった毛利元就の時代に郡山全域が城郭化された。大小270の曲輪を持つ戦国期の大規模な山城で、山麓にも元就や長男隆元の墓所を中心に、ゆかりの史跡が数多く残っている。
昭和4年(1929)、大阪の大正屋呉服店が建設したもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリートのモダンな建物だった。爆心地から170mの 至近距離で被爆。地下室を除いて全焼したが、建物としての基本的形態はとどめた。戦後は補修され、燃料会館として使用されていたが、昭和57年(1982)より、平和記念公園レストハウスとして使用され、1階には観光案内所や土産を扱う売店がある。地下室は被爆当時の姿を残し、見学もできる(要事前予約)。
明治23年(1890)、海軍軍人などの埋葬地として開設。戦艦「大和」の戦死者の慰霊碑をはじめ多くの合祀碑、個人碑などが立つ。映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影が行われた場所でもある。
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