
若胡子屋跡
最盛期には100人の遊女がいたと言われる御手洗地区最大のお茶屋跡。土塀には薩摩から持ち帰った桜島の溶岩が練り込まれ、座敷の天井には屋久杉が用いられるなど、きらびやかな場にふさわしい贅沢な造り。
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最盛期には100人の遊女がいたと言われる御手洗地区最大のお茶屋跡。土塀には薩摩から持ち帰った桜島の溶岩が練り込まれ、座敷の天井には屋久杉が用いられるなど、きらびやかな場にふさわしい贅沢な造り。
1600年前古墳時代の藻塩づくりの遺構を発掘時の状態で復元展示したもの。藻塩の島、蒲刈ならではの遺跡。古代の藻塩づくり体験もできる。要予約5名まで5000円、以降1人1000円。体験の問合せは080-6304-0197松浦まで。
かつての山陰・山陽を結ぶ石州街道の宿場町。白壁の土蔵造りの旧家、格子窓の建物が立ち並び、歴史の面影を残している。町のシンボル上下キリスト教会は旧財閥角倉家の土蔵。府中市上下歴史文化資料館は田山花袋の代表作『蒲団』のヒロインのモデルとなった岡田美知代の生家。また、天領上下ひなまつり等のイベント時には、大正時代に上棟された木造建築物としては中国地方唯一の芝居小屋「翁座」の見学ができる。
天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や武家文化、城下町広島を学べる歴史博物館になっている。近隣には広島城二の丸復元建物、広島城三の丸商業施設がある。
町年寄や割庄屋を勤めた多田家(屋号竹原屋)の屋敷跡。「蛤御門の変」の敗北を聞き、討幕派公卿5名が長州へ引き返す途中御手洗に立ち寄り、この竹原屋で二夜を過ごしている。
国の重要伝統的建造物群保存地区。江戸中期の町屋から昭和初期の洋館まで多様な建造物が残り、なまこ壁の美しい商人の屋敷や千本格子のある町屋、路地など、そのノスタルジックな町並みが往時を偲ばせる。若胡子屋[わかえびすや]跡は、最盛期には100人もの遊女を抱えていたと伝えられる茶屋の跡。地区の南端には江戸時代に築かれた石造りの大波止があり、住吉神社の太鼓橋のたもとには高さ6.18mの高灯籠が立つ。
いろは丸展示館のすぐそばにあり、鞆の浦のシンボル。江戸時代には港の入口を示す灯台の役割を果たした。灯籠塔[とうろどう]とも呼ばれ、夜は灯りがともり、風情がある。
バスセンターと観光情報発信基地の機能を併せもつ鞆の浦のアクセス・観光の拠点。年間を通じて鞆の浦で開催されるイベントや祭りの情報が入手できるほか、みやげ売り場やフードコーナーもあり、休憩スポットとしても人気。フードコーナーでは、瀬戸内の海の幸をふんだんに使った海鮮丼やしらす丼、鯛ちくわの磯辺揚げ、潮待ちソフトが好評。鞆鉄バス当時の切符売り場をそのまま利用した鞆鉄道ミニ資料館も併設されている。
おのみち文学の館の一つで、昭和8年(1933)暮れに病気療養のため尾道を訪れたアララギ派歌人中村憲吉終焉の家。外観のみの見学で、資料は文学記念室に展示されている。
八朔発祥の地「因島」。平成28年(2016)4月に日本遺産に認定された「村上海賊」ゆかりの因島水軍城や白滝山、地蔵鼻などの史跡が多く残っている。又、瀬戸内を代表する多島美の風景や因島公園からの夕陽スポットなどのみどころも多くある。囲碁界の偉大な棋士「本因坊秀策」の生誕地でもあり、本因坊秀策囲碁記念館で秀策の偉業と生涯を鑑賞できる。
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