五重塔
緑の木々を背景に、朱の色も鮮やかにそびえる五重塔の建立は、応永14年(1407)と伝えられている。高さ27m、唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く。初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には、金襴巻きの装飾画、壁には、極彩色の仏画が描かれている。
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緑の木々を背景に、朱の色も鮮やかにそびえる五重塔の建立は、応永14年(1407)と伝えられている。高さ27m、唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く。初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には、金襴巻きの装飾画、壁には、極彩色の仏画が描かれている。
明治元年(1868)に戊辰戦争で陣没した浅野藩士78柱を祀ったのが創建で、以来、大東亜戦争に至るまでの数々の戦争で戦没した英霊、原爆犠牲となった動員学徒、女子挺身隊などおよそ9万2千余柱の神霊を祀っている。原爆で御社殿すべてが焼失した後、昭和31年(1956)に現在の広島城跡に再建された。現在の社殿は平成5年(1993)に建て替えられたもの。
嚴島神社の西側の丘に大永3年(1523)に建立された国の重要文化財。純和様を基調としながら、天竺様や禅宗様を取り入れた建築様式は周辺の景観とも融合し、深い朱の美しさを一層強めている。
境内にある松原は、天平8年(736)、遣新羅使一行が下向途中に停泊した際、詠んだ和歌に登場するほど歴史は古い。三間社流造柿葺の本殿が国の重要文化財に指定されている。
大同4年(809)弘法大師空海の創建とされる高野山真言宗に属する古刹。三滝山の谷間にある。もみじや椿、馬酔木がうっそうと茂る境内は、参道に沿って磨崖仏、石仏、石塔が500体余り並び、3つの滝の瀬音が深山幽谷の趣を醸し出す。多宝塔は、原爆犠牲者の慰霊のため和歌山県の広八幡神社から移築され、毎年11月第3日曜に慰霊法要が営まれる。
14世紀中頃、足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つといわれ、のちに禅宗から真言宗に改宗、不動院となった。原爆によって廃墟と化した広島で唯一残る室町時代の遺構。唐様建築最大級といわれる金堂(国宝)、鐘楼と銅製の梵鐘、本尊の木造薬師如来坐像、唐様の楼門は重要文化財に指定されている。楼門にある木造仁王像は県の重要文化財。また春は桜の名所として賑わう。
島民が宮島を今日の隆盛に導いた平清盛の遺徳をたたえ、霊を慰めるために昭和29年(1954)に創建した神社。西松原と呼ばれる砂州にあり、朱塗りの鳥居と小さな社がある。
自身も被爆した当時の教会主任司祭、エノミヤ・ラサール神父が、原爆死没者及び戦争犠牲者の追悼、世界平和への願いを込め、市民や各国からの協力を得て建てた聖堂。昭和56年(1981)にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪問した。
建仁年間(1201~1203)の再興と伝えられ、明治維新まで嚴島神社の本願職として島内の堂塔の修理造営を担っていた。弘法大師の作といわれている秘仏・嚴島弁財天は、江ノ島、竹生島に並ぶ日本三弁財天の一つ。
霊峰・弥山には、弘法大師の足跡を残す遺跡が各所にある。大聖院はそれらを統括する真言宗御室派の大本山であり、宮島で最古の歴史を持つ寺院である。本堂には、豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、海上安全を祈願した波切不動明王が、観音堂には厳島神社の本地仏でもあった十一面観音菩薩が祀られている。
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