広島護国神社
明治元年(1868)に戊辰戦争で陣没した浅野藩士78柱を祀ったのが創建で、以来、大東亜戦争に至るまでの数々の戦争で戦没した英霊、原爆犠牲となった動員学徒、女子挺身隊などおよそ9万2千余柱の神霊を祀っている。原爆で御社殿すべてが焼失した後、昭和31年(1956)に現在の広島城跡に再建された。現在の社殿は平成5年(1993)に建て替えられたもの。
- 「城北駅」から徒歩8分/「県庁前(広島)駅」から徒歩9分
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明治元年(1868)に戊辰戦争で陣没した浅野藩士78柱を祀ったのが創建で、以来、大東亜戦争に至るまでの数々の戦争で戦没した英霊、原爆犠牲となった動員学徒、女子挺身隊などおよそ9万2千余柱の神霊を祀っている。原爆で御社殿すべてが焼失した後、昭和31年(1956)に現在の広島城跡に再建された。現在の社殿は平成5年(1993)に建て替えられたもの。
自身も被爆した当時の教会主任司祭、エノミヤ・ラサール神父が、原爆死没者及び戦争犠牲者の追悼、世界平和への願いを込め、市民や各国からの協力を得て建てた聖堂。昭和56年(1981)にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪問した。
大同4年(809)弘法大師空海の創建とされる高野山真言宗に属する古刹。三滝山の谷間にある。もみじや椿、馬酔木がうっそうと茂る境内は、参道に沿って磨崖仏、石仏、石塔が500体余り並び、3つの滝の瀬音が深山幽谷の趣を醸し出す。多宝塔は、原爆犠牲者の慰霊のため和歌山県の広八幡神社から移築され、毎年11月第3日曜に慰霊法要が営まれる。
14世紀中頃、足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つといわれ、のちに禅宗から真言宗に改宗、不動院となった。原爆によって廃墟と化した広島で唯一残る室町時代の遺構。唐様建築最大級といわれる金堂(国宝)、鐘楼と銅製の梵鐘、本尊の木造薬師如来坐像、唐様の楼門は重要文化財に指定されている。楼門にある木造仁王像は県の重要文化財。また春は桜の名所として賑わう。
平清盛が庵を結び十一面観音を安置した地として知られる。境内には本堂や鐘楼の他、俳人栗田樗堂の墓が残る。豊臣秀吉の四国征伐の際、加藤清正により築かれたとされる「乱れ築き」の巨大な石垣は圧巻。
菅原道真公が太宰府に流される際に立ち寄りお手を洗ったことから、御手洗の名前の由来になったとも言われる場所。菅公ゆかりの井戸や歌碑、石づくりの筆、神社拝殿の下のトンネルなど見どころ満載。
JR新尾道駅から徒歩圏内にある神社。尾道の中心地から少し離れていながらも、縁結びや子宝などのご利益があり、パワースポットとしても有名。願いが叶うといわれている「願い玉」を求めて、全国各地から多くの参拝者が訪れる。
豊臣秀吉が建立した入母屋造の大経堂。工事の途中で秀吉が死去したため、天井の板張り、正面入口などが未完成のまま現在に至っている。畳を敷けば、857畳あるといわれるそのスケールの大きさから、通称千畳閣とよばれている。
大同元年(806)開基の名刹。本尊の千手観音(秘仏)は聖徳太子作と伝えられている。山の中腹の崖上に張り出した舞台造の本堂からは尾道の市街が一望でき、除夜の鐘で有名な竜宮造の鐘楼とともに尾道の代表的な景観として親しまれている。
西条酒造協会が京都嵐山の松尾大社から分霊を受け、御建[みたて]神社の敷地内に建立した酒の町西条ならではの神社。酒造りの神として崇められている大山咋神[おおやまくいのかみ]を祀り、拝殿には西条の酒造メーカー各社の酒樽が奉納されている。
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