
長迫公園(旧海軍墓地)
明治23年(1890)、海軍軍人などの埋葬地として開設。戦艦「大和」の戦死者の慰霊碑をはじめ多くの合祀碑、個人碑などが立つ。映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影が行われた場所でもある。
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明治23年(1890)、海軍軍人などの埋葬地として開設。戦艦「大和」の戦死者の慰霊碑をはじめ多くの合祀碑、個人碑などが立つ。映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影が行われた場所でもある。
最盛期には100人の遊女がいたと言われる御手洗地区最大のお茶屋跡。土塀には薩摩から持ち帰った桜島の溶岩が練り込まれ、座敷の天井には屋久杉が用いられるなど、きらびやかな場にふさわしい贅沢な造り。
明王院前の平地・河川敷・中州一帯は、中世の港町だった草戸千軒町の遺跡。調査した範囲は既に掘削されているが、出土品の一部は重要文化財に指定され、広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)で見学できる。
昭和4年(1929)、大阪の大正屋呉服店が建設したもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリートのモダンな建物だった。爆心地から170mの 至近距離で被爆。地下室を除いて全焼したが、建物としての基本的形態はとどめた。戦後は補修され、燃料会館として使用されていたが、昭和57年(1982)より、平和記念公園レストハウスとして使用され、1階には観光案内所や土産を扱う売店がある。地下室は被爆当時の姿を残し、見学もできる(要事前予約)。
文久3年(1863)、公武合体派に京都を追われた尊王攘夷派の三条実美[さんじょうさねとみ]ら7人の公家は長州への途中、鞆の浦に立ち寄った。彼らが滞在したのが旧保命酒屋の中村家。2階建ての本宅と7棟の蔵からなり、いずれも国の重要文化財に指定されている。
平清盛が伝えた舞楽が演じられる舞台。黒漆塗りの基壇に、朱塗りの高欄が廻らされているのが特徴。擬宝珠には天文15年(1546)、棚守房顕により寄進されたことが分かる刻銘がある。国宝。
町年寄や割庄屋を勤めた多田家(屋号竹原屋)の屋敷跡。「蛤御門の変」の敗北を聞き、討幕派公卿5名が長州へ引き返す途中御手洗に立ち寄り、この竹原屋で二夜を過ごしている。
漢学研鑽の場だった江戸時代末期の建物を移築。楼造り(2階建)。呉市の有形文化財に指定されている。珍しい可動壁や、茶室、蘇軾書の「酔翁亭記」が書かれた天井などを鑑賞できる。
核の廃絶と平和を目指し、その精神文化運動の象徴として建立された鐘。鐘には、国境のない世界地図が刻印されている。平和を願い自由に打つことができる。
旧広島地方気象台の庁舎を利用した気象博物館。2階体験コーナーでは、秒速5m、15m、20mの風を体験したり、雲の中に入る体験や30万ボルトの落雷実験が見られるなど、気象の不思議を体感できる。館が独自に発表する予報作業の様子も興味深い。本館は被爆建物であり、広島市指定重要有形文化財でもある。
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