
御茶屋跡(本陣跡)
大名や幕府要人などが宿泊に利用した広島藩領内9カ所のなかでも最大規模の御茶屋(本陣)。明治維新後は賀茂郡役所(後に賀茂地方事務所)となり、芸南地方の文化の中心地となった。現在は賀茂鶴酒造の敷地内にある。外観のみ見学可能。
- 「西条(広島)駅」から徒歩5分
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大名や幕府要人などが宿泊に利用した広島藩領内9カ所のなかでも最大規模の御茶屋(本陣)。明治維新後は賀茂郡役所(後に賀茂地方事務所)となり、芸南地方の文化の中心地となった。現在は賀茂鶴酒造の敷地内にある。外観のみ見学可能。
明王院前の平地・河川敷・中州一帯は、中世の港町だった草戸千軒町の遺跡。調査した範囲は既に掘削されているが、出土品の一部は重要文化財に指定され、広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)で見学できる。
自身の知略と三人の息子(毛利隆元、吉川元春、小早川隆景)達の長所を活かして、西日本最大級の戦国大名にのし上がった毛利元就。75歳で生涯の幕を下ろした後、居城とした郡山城山麓に埋葬された。墓所の周囲には郡山城歴代の城主の墓や百万一心碑などもある。墓は玉垣に囲まれているが、毎年7月16日に行われる墓前祭の日だけは一般客も玉垣の中に入り、参拝することができる。
平清盛が一族の繁栄を祈願して、小石に経典の一文字を書いた一字一石経を埋めたとされる塚。経塚とも呼ばれている。昭和19年(1944)には銅製の経筒、中国宋時代の磁器、刀片などが発掘された。
中国地方最大級の浄楽寺・七ツ塚古墳群を含む約30万平方mを整備・保存した史跡公園。園内には復原古代住居や重要文化財旧真野家住宅などがあり、考古学や民俗学関係の資料を集めた広島県立歴史民俗資料館(料金200円、時間9時~16時30分入館、年末年始休み、月曜休館※祝日の場合は開館、翌日以降の最初の平日が休館)もある。常設展示では重要文化財矢谷古墳出土品をはじめ広島県を代表する原始古代の資料を展示している。
平和記念公園内にあり、正式名称は広島平和都市記念碑という。原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから埴輪の家型に設計され、昭和27年(1952)8月6日に建立。石室には30万8725人(2017年8月6日現在)の原爆死没者の名簿が納められ、正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれている。
勤労奉仕に動員され原爆や空襲で亡くなった学徒の慰霊碑。モニュメント下にはさまざまな宗派をひとつに表した像が立つ。
原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、核兵器の廃絶を祈って建設。設計は建築家・丹下健三氏によるもので、平和記念公園内「平和の池」の北端にある。昭和39年(1964)8月1日、反核の願いを込めて灯された炎は今も燃え続けている。
B29「エノラ・ゲイ号」により投下された原子爆弾は、T字型の相生橋が投下目標とされていたが、実際には相生橋の南東300mにある島病院の上空約600mでさく裂した。建物の横には原爆被災説明板が設置されている。
緑の木々を背景に、朱の色も鮮やかにそびえる五重塔の建立は、応永14年(1407)と伝えられている。高さ27m、唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く。初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には、金襴巻きの装飾画、壁には、極彩色の仏画が描かれている。
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