
對潮楼
古刹福禅寺の客殿で、創建は元禄年間(1688~1704)、国の指定史跡。小高い丘の上に建ち、大広間から見る海上の眺めがすばらしい。朝鮮通信使をもてなす迎賓館として利用され、通信使の正使はここからの景色を「日東第一形勝」(対馬から江戸の間で一番美しい景色)と賞賛した。景色を眺めながらのんびり心が洗われる写経を体験してみては。平成29年(2017)には福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係史料6点がユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に登録された。
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古刹福禅寺の客殿で、創建は元禄年間(1688~1704)、国の指定史跡。小高い丘の上に建ち、大広間から見る海上の眺めがすばらしい。朝鮮通信使をもてなす迎賓館として利用され、通信使の正使はここからの景色を「日東第一形勝」(対馬から江戸の間で一番美しい景色)と賞賛した。景色を眺めながらのんびり心が洗われる写経を体験してみては。平成29年(2017)には福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係史料6点がユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に登録された。
慶応3年(1867)坂本龍馬と海援隊を乗せたいろは丸は、鞆の浦沖で紀州藩の軍艦と衝突した。鞆の浦へ上陸後、船の賠償交渉の際、海援隊士と共に宿泊したとされる商家。龍馬は階段のない2階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危機もかえりみず談判にのぞんだ覚悟がしのばれる。ギャラリーショップも併設。
文久3年(1863)、公武合体派に京都を追われた尊王攘夷派の三条実美[さんじょうさねとみ]ら7人の公家は長州への途中、鞆の浦に立ち寄った。彼らが滞在したのが旧保命酒屋の中村家。2階建ての本宅と7棟の蔵からなり、いずれも国の重要文化財に指定されている。
爆心地から380mで被爆しながら、堅牢な建物であったため崩壊を免れ、被爆2日後には業務を再開。その後も平成4年(1992)まで使用された。館内見学可能。
幕末から明治の人々に影響を与えた「日本外史」の著者、頼山陽が青年時代に過ごした屋敷が歴史資料館に。館内には風雅な庭園や茶室も備えている。
壇ノ浦の合戦で幼い安徳天皇を抱いて入水した清盛の妻・二位の尼(平時子)の遺体は、宮島の有之浦に流れ着いたといわれる。その二位の尼を偲んで有之浦に建てられた燈籠。
土生港[はぶこう]背後の天狗山を中心に広がる瀬戸内海国立公園。瀬戸内の多島美がすばらしい。園内には小林一茶をはじめ、若山牧水、司馬遼太郎など著名な文学者の碑が並ぶ遊歩道つれしおの石ぶみや鯖大師と呼ばれる弘法大師像などみどころも多い。
廉塾は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人である菅茶山[かんちゃざん]が、安永4年(1775)に開塾。寛政8年(1796)に福山藩の郷校となり廉塾となった。歴史家であり漢詩人の頼山陽が塾頭をしていたこともあり、多くの門人が学んだという。当時の講堂のほか寮舎や茶山の居宅などが現存しており、塾生が筆や硯を洗ったという水路や菜園、養魚池も残っている。国指定特別史跡。土・日曜、祝日にはボランティアガイドの説明が受けられるのがうれしい。平日の見学は1週間前までに神辺観光協会へ要予約。
核の廃絶と平和を目指し、その精神文化運動の象徴として建立された鐘。鐘には、国境のない世界地図が刻印されている。平和を願い自由に打つことができる。
江戸後期~明治期の豪商・旧江上家の主屋(登録有形文化財)と土蔵を利用した資料館。6つの建物に宮島の歴史・文化・民俗に係わる多彩な資料を展示。約500坪の敷地の中心にある庭園も魅力。
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