鞆の津の商家
江戸末期築の主屋と明治時代の土蔵が一体となった建物は福山市の重要文化財に指定。通り土間を介してその横に店の間、中の間、奥の間と続く、典型的な鞆の商家の形を見ることができる。土・日曜、祝日に公開。
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江戸末期築の主屋と明治時代の土蔵が一体となった建物は福山市の重要文化財に指定。通り土間を介してその横に店の間、中の間、奥の間と続く、典型的な鞆の商家の形を見ることができる。土・日曜、祝日に公開。
最盛期には100人の遊女がいたと言われる御手洗地区最大のお茶屋跡。土塀には薩摩から持ち帰った桜島の溶岩が練り込まれ、座敷の天井には屋久杉が用いられるなど、きらびやかな場にふさわしい贅沢な造り。
明治初期の質の高い住宅建築が竹原市の重要文化財に指定されている。主屋の他、離れや茶室、土蔵などが当時の面影そのままに残る。茶室は小堀遠州流の茶人、不二庵による設計。
文久3年(1863)、公武合体派に京都を追われた尊王攘夷派の三条実美[さんじょうさねとみ]ら7人の公家は長州への途中、鞆の浦に立ち寄った。彼らが滞在したのが旧保命酒屋の中村家。2階建ての本宅と7棟の蔵からなり、いずれも国の重要文化財に指定されている。
慶応3年(1867)坂本龍馬と海援隊を乗せたいろは丸は、鞆の浦沖で紀州藩の軍艦と衝突した。鞆の浦へ上陸後、船の賠償交渉の際、海援隊士と共に宿泊したとされる商家。龍馬は階段のない2階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危機もかえりみず談判にのぞんだ覚悟がしのばれる。ギャラリーショップも併設。
修景広場横の坂道を少し上ったさきにあるお抱え地蔵。願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願い事が叶うといわれている。
広島県の建物百選にも名を連ねる昭和初期の木造洋風建築。頼春水の師で、江戸中期の儒学者・塩谷道碩[しおたにどうせき]の屋敷跡に立つ。竹原の塩田関連の資料を中心に歴史、文化、民俗資料を展示。レトロでモダンな洋館が古い町並みに映える。所要20分。
八朔発祥の地「因島」。平成28年(2016)4月に日本遺産に認定された「村上海賊」ゆかりの因島水軍城や白滝山、地蔵鼻などの史跡が多く残っている。又、瀬戸内を代表する多島美の風景や因島公園からの夕陽スポットなどのみどころも多くある。囲碁界の偉大な棋士「本因坊秀策」の生誕地でもあり、本因坊秀策囲碁記念館で秀策の偉業と生涯を鑑賞できる。
元和8年(1622)徳川家康の従兄弟・水野勝成[みずのかつなり]が福山十万石の領主となって築城。天守閣は昭和41年(1966)の再建で、博物館として公開している。京都の伏見城から移築されたという伏見櫓(重要文化財)と筋鉄御門[すじがねごもん](重要文化財)は往時の遺構。令和4年(2022)令和の大普請では全国で唯一となる天守北側壁面の鉄板張りが復元された。
いろは丸展示館のすぐそばにあり、鞆の浦のシンボル。江戸時代には港の入口を示す灯台の役割を果たした。灯籠塔[とうろどう]とも呼ばれ、夜は灯りがともり、風情がある。
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