加賀藩十村役喜多家
加賀藩の農村支配において重要な役割を果たした十村の屋敷。茅葺の表門は富樫家より拝領と伝わる。嘉永6年(1853)に能登を巡見した13代藩主前田斉泰の本陣をつとめ、主屋の内装は藩主を迎えた頃のすがたを留めている。加賀藩農政を支えた豪農の屋敷として、その面影を偲ぶことができる。国指定重要文化財。
- 「免田(石川)駅」から徒歩19分
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加賀藩の農村支配において重要な役割を果たした十村の屋敷。茅葺の表門は富樫家より拝領と伝わる。嘉永6年(1853)に能登を巡見した13代藩主前田斉泰の本陣をつとめ、主屋の内装は藩主を迎えた頃のすがたを留めている。加賀藩農政を支えた豪農の屋敷として、その面影を偲ぶことができる。国指定重要文化財。
建物は今から200年前に建てられた加賀藩肝煎の民家。茅葺き屋根の平屋建てで、巨大な松の梁や黒光りする威厳のあるケヤキ柱などが歴史を感じさせる。40種類以上のコケに覆われた庭園も美しい。
室町時代から続く風情ある七尾市の商店街。JR七尾駅前から七尾湾に向かって5分ほど歩くとある500mほどの通りで、和ろうそくや輪島塗、九谷焼などの伝統工芸品を扱う店から、呉服店やパン店、精肉店まで幅広いジャンルの約50店舗の商店が揃う。令和6年能登半島地震のため、通りに点在していた登録有形文化財の商家5軒のうち3軒が修復中。毎年春には、商家や民家の屋内、花嫁のれん館で華やかに「花嫁のれん展」を開催。「語り部処」では、まちの歴史や出来事を聞くことができるので立ち寄ってみよう。
能登半島北部、富山湾を望んで入江奥に続く平野に約4000年もの長い間、縄文人が繁栄を続けたとされる真脇遺跡がある。その真脇遺跡と背後に整備された施設などを含めた広大な公園が真脇遺跡公園。国指定史跡の真脇遺跡には環状木柱列などが復元され、土器・石器などの出土品は遺跡そばの真脇遺跡縄文館で見ることができる。縄文館隣接の真脇遺跡体験館では、土器作りや古代米作りなどを催行。公園内上部には、日帰り入浴も楽しめる宿泊施設「真脇ポーレポーレ」、桜の広場などの施設が整備されており、学習とレジャーの両方が楽しめる。
『平家物語』で知られる仏御前の里。美貌で知られた御前は14歳で都に出て歌舞を舞う白拍子となり、17歳のときに祇王、祇女のとりなしで平清盛の前で舞い、寵愛を受けることになる。しかし、それまで清盛の寵愛を受けていた祇王、祇女は失意の末に出家。それを知った御前は、わずか半年で清盛のもとを去り、のちにここ小松市原町で庵を結ぶが、21歳で早世した。同町の林成人氏宅には仏御前尊像があり、家人がその逸話を語ってくれる。
400年前の恋物語が残る粟津温泉は、「恋人の聖地」の認定地。おっしょべ公園には縁結び絵馬などがある。
魯山人の才能を見込んだ旅館「吉野屋」の当主が別荘を提供し、彼の住居兼工房とした場所。作品展示室があり、庭を望むロビーでは四季折々の庭を楽しめる。
壇ノ浦の合戦後、能登に流され、生き延びた平時忠の子・時国はこの地に住みつき豪農となった。以来、時国家は現当主まで25代と続く家柄だ。現存する家屋は天保2年(1831)から28年かけて築かれた茅葺きの入母屋造。唐破風の玄関や、金の格天井がある御前の間、揚羽蝶の定紋が入った襖など随所に武家を彷彿とさせる格式の高さを感じさせる。江戸末期の作庭という庭園も見ておきたい。
歌舞伎『勧進帳』の舞台として有名。源頼朝の追っ手を逃れて奥州に逃げ延びる義経一行は、ここで守護の富樫の尋問に合う。芝居を打って白紙の勧進帳を読み上げ、義経を打擲[ちょうちゃく]して主人の身を守ろうとする弁慶。それに心打たれた富樫は一行を通したという。源義経・弁慶・富樫左衛門尉の像が立ち、近くには勧進帳ものがたり館や安宅住吉神社、休憩・飲食施設を備えた安宅ビューテラスもある。
山中温泉の黒谷橋付近にある、松尾芭蕉を祀るお堂。旅の途中、山中温泉にやってきた芭蕉が名湯ぶりを讃えたといわれている。お堂は、1910年(明治43)、芭蕉を慕う俳人たちによって建立された。
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