ひがし茶屋休憩館
江戸時代の町家を再生した建物で、箱階段や蔀戸など昔ながらの造りを見学できる。観光ボランティアガイド「まいどさん」が常駐しており、1時間ほどの周辺ガイドも可(無料)。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
江戸時代の町家を再生した建物で、箱階段や蔀戸など昔ながらの造りを見学できる。観光ボランティアガイド「まいどさん」が常駐しており、1時間ほどの周辺ガイドも可(無料)。
卯辰山中腹の木立の中にある。幼い頃に母を亡くした鏡花が、よく遊んだ卯辰山を眺めながら詠んだ「はゝこひし夕山桜峰の松」という句が刻まれている。
トイレ、展示コーナーがある無料の休憩処。観光ボランティアガイド「まいどさん」が常駐しており、周辺ガイドにも応じてくれる(無料)。貸し出し用の車椅子1台あり。
卯辰山公園内にある碑で、昭和22年(1947)に建てられた。秋聲自筆の箴言[しんげん]が刻まれ、金沢の武家屋敷跡の土塀を模した後ろの塀には、室生犀星の筆による秋聲のプロフィールが記された陶板がはめ込まれている。
能登半島北部、富山湾を望んで入江奥に続く平野に約4000年もの長い間、縄文人が繁栄を続けたとされる真脇遺跡がある。その真脇遺跡と背後に整備された施設などを含めた広大な公園が真脇遺跡公園。国指定史跡の真脇遺跡には環状木柱列などが復元され、土器・石器などの出土品は遺跡そばの真脇遺跡縄文館で見ることができる。縄文館隣接の真脇遺跡体験館では、土器作りや古代米作りなどを催行。公園内上部には、日帰り入浴も楽しめる宿泊施設「真脇ポーレポーレ」、桜の広場などの施設が整備されており、学習とレジャーの両方が楽しめる。
400年前の恋物語が残る粟津温泉は、「恋人の聖地」の認定地。おっしょべ公園には縁結び絵馬などがある。
加賀一向一揆の門徒衆たちの最後の砦となった鳥越城。本願寺8世蓮如の布教により結束した民衆が、かつてない団結力で領主へ抵抗した一向一揆は、長享2年(1488)に守護大名の富樫氏を打ち破り、「百姓の持ちたる国」を実現。天正10年(1582)に織田信長の軍勢に滅ぼされるまで、その自治は100年間も続いた。手取川・大日川を望む標高312mの城跡には、落城当時を物語る石垣や復元された本丸門・桝形門・中の丸門がある。
金沢城公園内の中央付近に伸びる内堀に沿ってある長大な建物。平成13年(2001)に復元された城郭建築物で、3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を、2層2階建ての五十間長屋でつないだもの。明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。伝統的な木造軸組工法で建てられた建物は、そのもの自体が展示物で、見学では内部の建物構造が分かるように工夫がなされ、コンピューターグラフィックス映像での解説や模型・発掘調査出土品の展示などもあって楽しめる。
主計町茶屋街の一角にあるこぢんまりとした公園で、ベンチやトイレがあり散策途中の一服に便利。藩政期に金沢城を取り囲んでいた惣構(広い堀と高い土居で外敵の侵入を防ぐ)があった場所で、平成22年(2010)3月に惣構が一部復元された。高さ約3mの土居からは全体を見渡すこともできる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
壇ノ浦の合戦後、能登に流され、生き延びた平時忠の子・時国はこの地に住みつき豪農となった。以来、時国家は現当主まで25代と続く家柄だ。現存する家屋は天保2年(1831)から28年かけて築かれた茅葺きの入母屋造。唐破風の玄関や、金の格天井がある御前の間、揚羽蝶の定紋が入った襖など随所に武家を彷彿とさせる格式の高さを感じさせる。江戸末期の作庭という庭園も見ておきたい。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。