滝の白糸碑
金沢出身の文豪、泉鏡花の代表作『義血侠血』には浅野川が登場。梅ノ橋のそばにはヒロインの水芸人「滝の白糸」をイメージした像がある。センサーに手をかざすと水芸を始める。
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金沢出身の文豪、泉鏡花の代表作『義血侠血』には浅野川が登場。梅ノ橋のそばにはヒロインの水芸人「滝の白糸」をイメージした像がある。センサーに手をかざすと水芸を始める。
建物は今から200年前に建てられた加賀藩肝煎の民家。茅葺き屋根の平屋建てで、巨大な松の梁や黒光りする威厳のあるケヤキ柱などが歴史を感じさせる。40種類以上のコケに覆われた庭園も美しい。
長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながら抹茶を頂ける(詳細要問合せ)。
文政3年(1820)に町割を改めお茶屋を集めたのが始まり。伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠と呼ばれる格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。お茶屋は一見[いちげん]さんはお断りだが、夕方になると三味線や太鼓の音が静かに流れてくる。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。
室町時代から続く風情ある七尾市の商店街。JR七尾駅前から七尾湾に向かって5分ほど歩くとある500mほどの通りで、和ろうそくや輪島塗、九谷焼などの伝統工芸品を扱う店から、呉服店やパン店、精肉店まで幅広いジャンルの約50店舗の商店が揃う。令和6年能登半島地震のため、通りに点在していた登録有形文化財の商家5軒のうち3軒が修復中。毎年春には、商家や民家の屋内、花嫁のれん館で華やかに「花嫁のれん展」を開催。「語り部処」では、まちの歴史や出来事を聞くことができるので立ち寄ってみよう。
山中温泉の黒谷橋付近にある、松尾芭蕉を祀るお堂。旅の途中、山中温泉にやってきた芭蕉が名湯ぶりを讃えたといわれている。お堂は、1910年(明治43)、芭蕉を慕う俳人たちによって建立された。
加賀藩の中級武士、高田家の屋敷跡。復元された重厚な長屋門が見もの。長屋門はその名の通り長屋付きの門で、厩と仲間部屋、納屋が備わっている。
玉泉湖畔に立つかや茸き小屋で平成22年(2010)に建て直し、平成27年(2015)にかやを葺き替えた。かつて江戸時代には氷室小屋に雪を貯蔵し、夏、将軍家に献上していた。今でも大寒に雪を詰め、6月末にそれを取り出す氷室開きが行われている。
歌舞伎『勧進帳』の舞台として有名。源頼朝の追っ手を逃れて奥州に逃げ延びる義経一行は、ここで守護の富樫の尋問に合う。芝居を打って白紙の勧進帳を読み上げ、義経を打擲[ちょうちゃく]して主人の身を守ろうとする弁慶。それに心打たれた富樫は一行を通したという。源義経・弁慶・富樫左衛門尉の像が立ち、近くには勧進帳ものがたり館や安宅住吉神社、休憩・飲食施設を備えた安宅ビューテラスもある。
かつて金沢城を造るための木材等を運んだ水路で、ゴリや鮎もとれたという大野庄用水。その東側の小路に一歩足を踏み入れれば、江戸時代に逆戻りしたかのような武家屋敷跡に入る。両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のよう。戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐ構造になっている。土塀にのった光沢のある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてある。休憩室や観光案内コーナーがある、長町武家屋敷休憩館(時間:9~17時、12月1日~3月15日は9時30分~17時、無休)にも立ち寄りたい。
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