
無限庵
加賀温泉郷の一つ、山中温泉にある石川県指定文化財の武家書院。鶴仙渓遊歩道に架かるこおろぎ橋から少し坂を上がったところに立つ。加賀藩の家老であった横山家の分家筋が大正元年(1912)頃に建てたとされる「御殿」と呼ばれる書院を移築したもの。当時の建築技術の粋を集めた武家書院造といわれている。館内には、加賀蒔絵や古九谷、また、千利休ゆかりの茶道具なども展示され、静かな空間を演出している。
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加賀温泉郷の一つ、山中温泉にある石川県指定文化財の武家書院。鶴仙渓遊歩道に架かるこおろぎ橋から少し坂を上がったところに立つ。加賀藩の家老であった横山家の分家筋が大正元年(1912)頃に建てたとされる「御殿」と呼ばれる書院を移築したもの。当時の建築技術の粋を集めた武家書院造といわれている。館内には、加賀蒔絵や古九谷、また、千利休ゆかりの茶道具なども展示され、静かな空間を演出している。
魯山人の才能を見込んだ旅館「吉野屋」の当主が別荘を提供し、彼の住居兼工房とした場所。作品展示室があり、庭を望むロビーでは四季折々の庭を楽しめる。
浅野川大橋は、大正11年(1922)に浅野川に架けられた西洋風のめがね橋。最初の橋は加賀藩祖・前田利家が架けたものだといい、現在は国道157号線上にあって、大正時代から昭和41年(1966)までは橋上に市電が走っていた。橋長は約55m、幅約17m。鉄筋コンクリート造の3径間連続アーチ橋で、唐草模様付きの格子高欄や復刻されたレリーフ、レトロ調の五灯式あんどん型照明など、昼も夜も雰囲気がある。平成12年(2000)、国登録有形文化財に登録された。
福浦港を見下ろす日和山の一角に、高さ5.2mの木造の灯台が立っている。この地は日本で初めて灯台が造られた場所といわれる。明治9年(1876)に建てられたこの灯台は、慶長13年(1608)、日野資信という人物が暗夜の海を航行する船を守るために火を焚いたのがはじまり。以来、明治43年(1910)に旧福浦村営になるまで日野家が代々守ってきた。
明治~昭和初期に米穀や金融で財を成した吉田茂平氏の旧宅を移築、公開している。神代杉や欅など銘木を多用し、匠の技を尽くした普請道楽ともいうべき農家住宅。また、貴重な灯籠と名石を集めた日本庭園の紫雲園も必見。
江戸時代の加賀藩地域を中心とした民家を展示する野外博物館。町家・武家ゾーンと農家ゾーンから成り、国指定重要文化財の商家・旧松下家住宅や旧鯖波本陣石倉家住宅をはじめ、国指定重要有形民俗文化財の紙漉き農家・旧園田家住宅など、農家や商家、武家門など総計10棟が各地から移築されている。実際に家の中に上がって当時の暮らしを体感できる。
『平家物語』で知られる仏御前の里。美貌で知られた御前は14歳で都に出て歌舞を舞う白拍子となり、17歳のときに祇王、祇女のとりなしで平清盛の前で舞い、寵愛を受けることになる。しかし、それまで清盛の寵愛を受けていた祇王、祇女は失意の末に出家。それを知った御前は、わずか半年で清盛のもとを去り、のちにここ小松市原町で庵を結ぶが、21歳で早世した。同町の林成人氏宅には仏御前尊像があり、家人がその逸話を語ってくれる。
加賀一向一揆の門徒衆たちの最後の砦となった鳥越城。本願寺8世蓮如の布教により結束した民衆が、かつてない団結力で領主へ抵抗した一向一揆は、長享2年(1488)に守護大名の富樫氏を打ち破り、「百姓の持ちたる国」を実現。天正10年(1582)に織田信長の軍勢に滅ぼされるまで、その自治は100年間も続いた。手取川・大日川を望む標高312mの城跡には、落城当時を物語る石垣や復元された本丸門・桝形門・中の丸門がある。
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