
まほろば古の里 歴史公園
押出遺跡や日向洞窟など、貴重な歴史を今に伝える遺跡が点在するうきたむの地。この歴史公園には、土器などの考古資料を展示する山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館を中心に、美しい三重塔を有する安久津八幡神社などがあり、紅葉の名所としても知られている。
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押出遺跡や日向洞窟など、貴重な歴史を今に伝える遺跡が点在するうきたむの地。この歴史公園には、土器などの考古資料を展示する山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館を中心に、美しい三重塔を有する安久津八幡神社などがあり、紅葉の名所としても知られている。
致道博物館内にある、明治14年(1881)に建造の擬洋風建築物。明治天皇の東北御巡幸の際には、鶴岡の行在所となった。棟梁は高橋兼吉。現在は考古学、明治時代の資料などを展示している。
上杉家の初代謙信公から12代斉定[なりさだ]公まで、歴代米沢藩主の墓所。杉木立に囲まれた約2万平方mの敷地には、一棟に一柱づつの廟屋と石灯篭が横一列に並ぶ。質実剛健の藩の気風を示すように、質素で深閑とした趣をもつ。
瑞雲院の境内東側にある、江戸時代に11代続いた新庄藩主戸沢家の6棟の霊廟。総ケヤキ造りで、1700年代初期から後期に亘る約100年間の建築様式の変化も見ることができる。正室・側室や家族の墓が同じ棟にあるのは全国的にも珍しい。国指定史跡に登録されている。
士風の刷新と優れた人材の育成を目的として、旧庄内藩主・酒井家9代忠徳[ただあり]が文化2年(1805)に創設した藩校。徂徠学を教育の中心とし、天性重視、個性伸長、自学自習を重んじた。明治6年(1873)の閉校後も、表御門・聖廟・廟門・講堂・御入間[おいりのま]などが残る。東北では唯一現存する藩校建造物で、国の指定史跡である。
国指定史跡・松ヶ岡開墾場は、明治5年(1872)に旧庄内藩士約3000人が刀を鍬に替えて開墾し、広大な桑園と蚕室群を設けて養蚕業を始めた中心地。鶴岡・庄内は国内最北限の絹産地に発展した。開墾の本部とした本陣や、5棟の大きな蚕室、貯桑土蔵などが、明治の面影そのままに現存する。蚕室は、開墾の歴史を伝える松ヶ岡開墾記念館をはじめ、6・9月に蚕飼育が見られるおカイコさまの蔵、鶴岡の絹産業の歴史と魅力に触れる体験型施設のシルクミライ館として公開。食堂やショップもあり、季節のマルシェやワークショップなども開催。
関所跡。白河関[しらかわのせき]、勿来関[なこそのせき]と並ぶ奥羽[おうう]三大古関の一つで、鼠ケ関[ねずがせき]港が一望できる。源義経・弁慶の「勧進帳」の舞台といわれる。
霞城公園内にある、ドーム型大屋根をもつ三層楼と14角形の廻廊がある擬洋風建築物。明治11年(1878)に県立病院として建てられたものを移築復元したもので、国の重要文化財に指定。館内では、医学・医療や郷土史に関する資料を展示している。
立石寺の山門から仁王門への途中に建つ。芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑。芭蕉が山寺を訪れたのは元禄2年(1689)のこと。
城下町の整備とともに直江兼続が力を注いだのが鉄砲製造。秘境の温泉地として知られる白布にその足跡が残されている。ここで製造された火縄銃は1000挺に上り、上杉軍の鉄砲隊は鴫野[しぎの]の戦いで大いに活躍した。
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