楢下宿
江戸時代、奥州諸大名の参勤交代の宿場町として栄えた楢下宿。一帯は国の歴史国道の選定を受け、史跡にも指定。当時の面影を残す4棟の建物(いずれも県・市指定文化財)が復元され、街道沿いを流れる金山川にはアーチ状の石橋が2本架かっている。脇本陣滝沢屋は歴史民俗資料館も兼ね、貴重な資料を展示。他の古民家は、無料で見学できる。
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江戸時代、奥州諸大名の参勤交代の宿場町として栄えた楢下宿。一帯は国の歴史国道の選定を受け、史跡にも指定。当時の面影を残す4棟の建物(いずれも県・市指定文化財)が復元され、街道沿いを流れる金山川にはアーチ状の石橋が2本架かっている。脇本陣滝沢屋は歴史民俗資料館も兼ね、貴重な資料を展示。他の古民家は、無料で見学できる。
江戸時代、上山城の北西には多くの武家屋敷が立ち並んでいた。今も通りには4軒の武家屋敷が残り、藩政時代の面影をとどめている。茅葺き屋根、鉤型の曲り屋の建物は、19世紀初期の建造と推定され、玄関と通用口が異なる武家中門造りの建築様式が特徴。子孫が生活している家屋もあるが、三輪家のみ内部見学ができる。
出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
鎌倉時代に築城され、長井・伊達・蒲生[がもう]・上杉の歴代藩主の居城となり、舞鶴城・松岬城とも呼ばれた。堀と石垣に囲まれた園内は花見の名所で、春には約200本の桜が咲く。園内には米沢藩上杉家の家祖上杉謙信を祀る上杉神社があり、上杉家伝来の宝物を多数収蔵した稽照殿もある。
江戸時代初期に建てられたと推定される、新庄領堺田村の庄屋の住宅。元禄2年(1689)、松尾芭蕉が旅の途中でこの家に3日間逗留したとされ、その際に詠んだ句が『おくのほそ道』に収められている。
愛称の「文翔館」で親しまれる郷土館の竣工は大正5年(1916)。山形県旧県庁舎兼旧県会議事堂として使用されていた建物で、国指定重要文化財だ。石貼りの重厚な英国近世復興様式で、旧県庁舎と旧県会議事堂の2棟が渡り廊下で結ばれている。現在も稼働している時計塔のある旧県庁舎の館内には、明治以降の県政資料の展示室やギャラリー、映像ホール、喫茶室などが整備され、旧県会議事堂のヴォールト天井の見事な議事場ホールではイベントも開催されている。
縄文時代の遺跡を保存・整備した公園。古代の丘資料館では、縄文時代の長者屋敷遺跡資料や出土品を展示。広場には土偶の巨大なオブジェがある。古代の丘にはリードをつけていればペットと入園できるが、資料館はペット不可。
明治43年(1910)山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校本館として竣工。ルネッサンス様式の美しい木造2階建で、国の重要文化財。内部見学は要予約で平日11~16時。外観見学のみは、いつでも可。訪問時に正門守衛に声掛けの事。
旧柏倉家住宅は江戸時代後期から明治にかけて、豪農として栄えた柏倉九左衛門家の屋敷。敷地約2300坪、建物約427坪という大規模住宅で、明治期の南東北地方における上質な農家建築として価値が高いと、令和元年(2019)9月に重要文化財に指定された。漆塗や金箔で飾られた仏間などは上質な座敷蔵で、村山地方における屋敷構えの特徴を表しており必見。また7月上旬には日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財とされた紅花畑が門前に花開き、11月には鮮烈な紅葉が庭園を彩る。
銘酒東光の名で知られる、慶長2年(1597)創業の米沢藩御用酒屋、小嶋総本店の酒造資料館。1200坪の広大な敷地の中に明治時代を彷彿とさせる140坪の酒蔵を含め、数棟を開放。酒造りの工程を道具とともに紹介している。試飲・即売のコーナーもあり。買物のみも可。所要40分。
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