旧柏倉家住宅
旧柏倉家住宅は江戸時代後期から明治にかけて、豪農として栄えた柏倉九左衛門家の屋敷。敷地約2300坪、建物約427坪という大規模住宅で、明治期の南東北地方における上質な農家建築として価値が高いと、令和元年(2019)9月に重要文化財に指定された。漆塗や金箔で飾られた仏間などは上質な座敷蔵で、村山地方における屋敷構えの特徴を表しており必見。また7月上旬には日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財とされた紅花畑が門前に花開き、11月には鮮烈な紅葉が庭園を彩る。
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旧柏倉家住宅は江戸時代後期から明治にかけて、豪農として栄えた柏倉九左衛門家の屋敷。敷地約2300坪、建物約427坪という大規模住宅で、明治期の南東北地方における上質な農家建築として価値が高いと、令和元年(2019)9月に重要文化財に指定された。漆塗や金箔で飾られた仏間などは上質な座敷蔵で、村山地方における屋敷構えの特徴を表しており必見。また7月上旬には日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財とされた紅花畑が門前に花開き、11月には鮮烈な紅葉が庭園を彩る。
本間家三代光丘が明和5年(1768)幕府の巡見使宿舎として建造、荘内藩主酒井家に献上した武家屋敷。武家と商家造りが一体となる珍しい建物。その後拝領、昭和20年(1945)春まで商家造りの方を住まいとした。戦後は公民館として利用され、別館「お店」では帳場を再現し、商人としての暮らしを紹介している。
出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
江戸時代、奥州諸大名の参勤交代の宿場町として栄えた楢下宿。一帯は国の歴史国道の選定を受け、史跡にも指定。当時の面影を残す4棟の建物(いずれも県・市指定文化財)が復元され、街道沿いを流れる金山川にはアーチ状の石橋が2本架かっている。脇本陣滝沢屋は歴史民俗資料館も兼ね、貴重な資料を展示。他の古民家は、無料で見学できる。
銘酒東光の名で知られる、慶長2年(1597)創業の米沢藩御用酒屋、小嶋総本店の酒造資料館。1200坪の広大な敷地の中に明治時代を彷彿とさせる140坪の酒蔵を含め、数棟を開放。酒造りの工程を道具とともに紹介している。試飲・即売のコーナーもあり。買物のみも可。所要40分。
松尾芭蕉と曾良が舟に乗って最上川を下ったとされる場所で、芭蕉と曾良の陶像と「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑がある。また、この付近の八向山[やむきやま]がある本合海[もとあいかい]は、「おくのほそ道の風景地」の一つとして国名勝に指定されている。
最上地方に入った源義経一行に関する興味深い伝説が残る瀬見温泉。平成5年(1993)に完成したこの橋の両詰めには横笛を吹く義経像が立ち、欄干には“開湯の祖”弁慶を描いたレリーフも掲げられている。
城下町の整備とともに直江兼続が力を注いだのが鉄砲製造。秘境の温泉地として知られる白布にその足跡が残されている。ここで製造された火縄銃は1000挺に上り、上杉軍の鉄砲隊は鴫野[しぎの]の戦いで大いに活躍した。
鶴岡城下で庄内藩の御用商人として呉服屋を営み、幕末には鶴岡第一の豪商となった風間家の旧宅。丙申堂と名付けられた邸宅は、明治29年(1896)丙申の年に住居と営業の拠点として建築されたもの。広大な板の間に架けられたトラス状の梁や、現在では珍しくなった杉皮葺石置屋根などが見どころだ。明治期に賃金業に転じ、風間銀行から荘内銀行に致る歴史の跡も、金庫蔵に展示された明治期の金庫からうかがえる。主屋、小座敷、前蔵、風呂場などが国の重要文化財に、表門と西側坂塀が登録有形文化財に指定されている。所要20分。
愛称の「文翔館」で親しまれる郷土館の竣工は大正5年(1916)。山形県旧県庁舎兼旧県会議事堂として使用されていた建物で、国指定重要文化財だ。石貼りの重厚な英国近世復興様式で、旧県庁舎と旧県会議事堂の2棟が渡り廊下で結ばれている。現在も稼働している時計塔のある旧県庁舎の館内には、明治以降の県政資料の展示室やギャラリー、映像ホール、喫茶室などが整備され、旧県会議事堂のヴォールト天井の見事な議事場ホールではイベントも開催されている。
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