
旧山野辺陣屋玄関
白河藩阿部氏が文政6年(1823)山野辺周辺を治めるため設けた陣屋の遺構。本体は明治3年(1870)に解体されたが、玄関の鵯線[ひよどりせん]の廂[ひさし]などは建築学的価値があり、旧役場跡地内にある。
- 「羽前山辺駅」から徒歩9分
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白河藩阿部氏が文政6年(1823)山野辺周辺を治めるため設けた陣屋の遺構。本体は明治3年(1870)に解体されたが、玄関の鵯線[ひよどりせん]の廂[ひさし]などは建築学的価値があり、旧役場跡地内にある。
日和山公園の中にあり、デザインが優れた本格的な木造洋風建築。大正8年(1919)に建てられたもので、住居と医院が一緒になっており、珍しい造り。
鶴岡城下で庄内藩の御用商人として呉服屋を営み、幕末には鶴岡第一の豪商となった風間家の旧宅。丙申堂と名付けられた邸宅は、明治29年(1896)丙申の年に住居と営業の拠点として建築されたもの。広大な板の間に架けられたトラス状の梁や、現在では珍しくなった杉皮葺石置屋根などが見どころだ。明治期に賃金業に転じ、風間銀行から荘内銀行に致る歴史の跡も、金庫蔵に展示された明治期の金庫からうかがえる。主屋、小座敷、前蔵、風呂場などが国の重要文化財に、表門と西側坂塀が登録有形文化財に指定されている。所要20分。
本間家三代光丘が明和5年(1768)幕府の巡見使宿舎として建造、荘内藩主酒井家に献上した武家屋敷。武家と商家造りが一体となる珍しい建物。その後拝領、昭和20年(1945)春まで商家造りの方を住まいとした。戦後は公民館として利用され、別館「お店」では帳場を再現し、商人としての暮らしを紹介している。
江戸時代、上山城の北西には多くの武家屋敷が立ち並んでいた。今も通りには4軒の武家屋敷が残り、藩政時代の面影をとどめている。茅葺き屋根、鉤型の曲り屋の建物は、19世紀初期の建造と推定され、玄関と通用口が異なる武家中門造りの建築様式が特徴。子孫が生活している家屋もあるが、三輪家のみ内部見学ができる。
明治12年(1879)竣工の洋風木造建築。玄関ポーチやステンドグラスが印象的。幕末から大正にかけての郷土資料を展示。所要30分。
銀山温泉の地名の由来となった銀山跡で、康正2年(1456)に発見された。内部は一本道の通路が整備されている。江戸時代に幕府直営の鉱山として繁栄した名残を今に伝えるスポット。
ニシン漁により北海道有数の漁業家となった青山留吉[あおやまとめきち]が、故郷である遊佐に建築した本邸。春慶塗を多用した豪奢なつくりや、けやき1枚板の板戸など、贅を尽くした点が見所。隣接する東土蔵や展示館には、留吉が収集した美術品も展示されている。
明治26年(1893)、酒田米穀取引所の付属倉庫として建造された山居倉庫。白壁、土蔵づくり12棟からなる倉庫群のうち、9棟は2022年まで農業倉庫として使用されていた。米の収容能力は1万800トン(18万俵)。夏の高温防止のために背後に欅並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫だ。欅並木は酒田で一番人気のフォトスポット。
鶴岡公園内にある。明治の文豪・高山樗牛[たかやまちょぎゅう]や横光利一をはじめ各界で功績のあった郷土ゆかりの人物を紹介する郷土人物等資料展示施設。大正時代に建てられた赤いドームが特徴の洋風建築がすばらしい。
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