フゴッペ洞窟
昭和25年(1950)に発見された約1500~2000年前(続縄文時代)の遺跡。洞窟の内壁には人物や動物、舟などを描いたと思われる刻画が見られる。
- 「蘭島駅」から徒歩23分
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昭和25年(1950)に発見された約1500~2000年前(続縄文時代)の遺跡。洞窟の内壁には人物や動物、舟などを描いたと思われる刻画が見られる。
明治44年(1911)に開通し、昭和62年(1987)に廃線となった大夕張鉄道。駅舎は解体されたが、保存会の手によって国内最古の石炭貨車やラッセル車などの車両6両が、ホームに横付けされた形で保存されている。廃線跡をめぐるツアーも人気だ。平成19年(2007)、経済産業省近代産業遺産認定。
北海道大学札幌キャンパスを縦貫する中央通りの北端に佇む、赤い屋根が印象的な実践農場建物群。クラーク博士の構想に基づいて明治9年(1876)から建てられたもの。一戸の酪農家をイメージした畜舎と関連施設は日本の畜産業発祥の地のひとつであり、貴重な農場建築を伝えるものとして国の重要文化財となっている。内部には北海道開拓時代の農具などが展示してある。
平成18年(2006)7月、北海道で初めて「恋人の聖地」として選出されたスポット。雄大な海岸線や日本海に沈む夕日が大変美しく見える展望台。「誓いの鐘」や恋人たちが固く結ばれることを願ってかける、南京錠を取り付けるためのフェンスが設置されている。平成30年(2018)4月下旬、恋人の聖地のふもとのあいろーどパーク内に道の駅石狩「あいろーど厚田」がオープン。
北海道大学の前身である旧札幌農学校の演武場として、初代教頭クラーク博士の提案により明治11年(1878)に建築された。明治14年(1881)、時計塔を付設してボストン・ハワード社製の振り子式時計が設置された。1世紀以上も時を刻み続けた時計は、毎正時に澄んだ鐘の音色を響かせて札幌の街に時を告げる。1階には、写真パネルを使って時計台の歴史を紹介する展示コーナーを設置。2階では、明治時代そのままに演武場が再現されている。国の重要文化財。所要30分。
明治時代にイギリス人技師によって設計され、千歳市の有形文化財に指定されている支笏湖山線鉄橋。昭和26年(1951)まで使用されていたが、鉄道の廃止後は歩道橋として利用されている。
北海道大学の前身・札幌農学校の初代教頭はアメリカ人のウィリアム・スミス・クラーク博士。札幌を去る際に博士が学生に残した「Boys be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の名言は、今も北海道大学のモットーだ。古河講堂のそばに設置されている現在のクラーク博士の胸像は昭和23年(1948)の再建。初代は大正15年(1926)に彫刻家・田嶼碩朗の制作で建立されたが、太平洋戦争時の金属類回収令によって供出。二代目は初代像の石膏原型を使用して鋳造したもので、人気の記念撮影のスポットとなっている。
日本海を望む岬の先端に建つ。明治30年(1897)、北海道の日本海沿岸がまだニシン漁で栄えていた時代、積丹[しゃこたん]の網元・田中福松によって泊村に建築され、昭和33年(1958)に現在地へ移築された。当時は120名ものヤン衆(出稼ぎの漁夫)が寝泊まりしていたという。現存する鰊御殿の中では最大級の規模を誇る。所要30分。
国道5号から小樽商科大学へ向かう地獄坂を登った、JR小樽駅裏手の小高い丘の上にある展望台。小樽市街が一望でき、天気がよければ石狩湾や暑寒別岳[しょかんべつだけ]も遠くに望める。展望台のすぐ近くには、小樽ゆかりのプロレタリア作家・小林多喜二の文学碑が建つ。展望台への車道は冬期閉鎖。
国内有数の規模を誇る炭鉱用火力発電所で、夕張炭鉱のシンボル的存在。炭鉱の閉山により平成3年(1991)に閉鎖された。内部見学は(一社)清水沢プロジェクトで受け付けている(有料・完全予約制・冬期除く)。
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