山線鉄橋
明治時代にイギリス人技師によって設計され、千歳市の有形文化財に指定されている支笏湖山線鉄橋。昭和26年(1951)まで使用されていたが、鉄道の廃止後は歩道橋として利用されている。
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明治時代にイギリス人技師によって設計され、千歳市の有形文化財に指定されている支笏湖山線鉄橋。昭和26年(1951)まで使用されていたが、鉄道の廃止後は歩道橋として利用されている。
市民交流やNPOなど市民活動の支援をするほか、観光案内をはじめ、地域情報の発信、移住者支援、函館地域のコミュニケーション、まちづくりの活動を行う。大正時代創建のデパートだった建物はノスタルジックな雰囲気。また、東北以北最古の手動式エレベーターが現存している。
明治40年(1907)の大火を受け、大正4年(1915)に鉄筋コンクリートで建造。耐火建築寺院の歴史的価値が認められ、平成19年(2007)12月に本堂、正門、鐘楼が国の重要文化財に指定された。
明治15年(1882)創設の、北海道の高校の中で最も長い歴史と伝統を有するミッションスクール。今も現役で使われている教室や職員室のある本館は国の重要文化財に指定されており、映画やドラマ、CMのロケでもよく利用される。同じく国指定重文のホワイトハウスは、毎年7月末の2日間のみ一般公開。本館・ホワイトハウスともに外観は見学可。本館内部は学校のため見学不可。
国道5号から小樽商科大学へ向かう地獄坂を登った、JR小樽駅裏手の小高い丘の上にある展望台。小樽市街が一望でき、天気がよければ石狩湾や暑寒別岳[しょかんべつだけ]も遠くに望める。展望台のすぐ近くには、小樽ゆかりのプロレタリア作家・小林多喜二の文学碑が建つ。展望台への車道は冬期閉鎖。
初代松前藩主である松前慶廣が築造した福山館を前身とし、外国船打払いのため、海に面した三ノ丸に7基の台場を設けて安政元年(1854)に完成した最北の日本式城郭。昭和16年(1941)に木造天守が国宝に指定されたが、その8年後、飛び火により焼失。町民の願いで昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート製の復興天守が竣工した。国指定重要文化財の本丸御門や、復元整備された天神坂門・搦手二ノ門・七番台場などの遺構が歴史を物語っている。復興天守の内部は松前城資料館となっており、複製縄張り図や、北前船関連資料などが展示され、当時の歴史を知ることができる。所要40分。
国内有数の規模を誇る炭鉱用火力発電所で、夕張炭鉱のシンボル的存在。炭鉱の閉山により平成3年(1991)に閉鎖された。内部見学は(一社)清水沢プロジェクトで受け付けている(有料・完全予約制・冬期除く)。
明治43年(1910)、豪商・相馬哲平からの5万円の寄附を元に建築。当時皇太子だった大正天皇をはじめ、皇室の行啓の際にも使用された由緒ある木造2階建ての建物で、国指定重要文化財。青灰色の外壁と黄色の窓枠のコントラストが美しいコロニアルスタイルに、正面入口の唐草模様など、和と洋が調和した造りが随所に見られる。館内は、1階にカフェとして営業する大食堂や球戯室など、2階に御座所、大広間、御湯殿などがあり、当時の調度品が展示されていて興味深い。明治時代のドレスや着物で記念撮影ができる函館ハイカラ衣裳館は予約不要。
箱館奉行所は、幕末の箱館開港に伴い、北方警備や諸外国との応接の場として設置された江戸幕府の役所。元治元年(1864)、箱館山山麓から五稜郭内に新築移転。箱館奉行所を防御するために五稜郭は築造された。箱館戦争後の明治4年(1871)、奉行所庁舎は明治政府により解体されてしまったが、平成22年(2010)、約140年の時を経て、可能な限り資料に忠実に当時の工法・同じ産地の材料を使用し、かつての場所に全体の3分の1が復元された。館内では72畳の大広間などで江戸時代を体感できるほか、五稜郭の歴史や復元工事の様子を知ることができる。
明治39年(1906)に建築された近世ヨーロッパ復興様式の石造りの建物。工部大学校(現在の東京大学工学部)第1期卒業生である佐立七治郎が設計し、国の重要文化財に指定されている。内部は、建設当時の姿に復元されており、貴賓室・会議室の金唐革紙[きんからかわかみ]を使用した壁紙、豪華なシャンデリアや漆喰の天井飾りなど、建物の随所に明治時代の華やかな雰囲気が残る。また、館内では、小樽の建物を支えた小樽軟石についての展示や歴史的建造物の展示も行っている。所要40分。
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