
浦富海岸
山陰海岸ジオパークの中の浦富海岸は、花崗岩が海に迫る、変化に富んだリアス海岸。城原周辺は浦富海岸の中でも代表的な景勝地で、海域公園にも指定されている。この近辺の海は透明度が高く、波が穏やかなときは25mにも達する。北に並ぶ無人の島々は菜種五島[なたねごとう]とよばれ、春には菜の花が咲く。浦富海岸は、遊覧船やカヌーツーリングで探勝したり、絶壁に沿った自然探勝路をたどることもできる。
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山陰海岸ジオパークの中の浦富海岸は、花崗岩が海に迫る、変化に富んだリアス海岸。城原周辺は浦富海岸の中でも代表的な景勝地で、海域公園にも指定されている。この近辺の海は透明度が高く、波が穏やかなときは25mにも達する。北に並ぶ無人の島々は菜種五島[なたねごとう]とよばれ、春には菜の花が咲く。浦富海岸は、遊覧船やカヌーツーリングで探勝したり、絶壁に沿った自然探勝路をたどることもできる。
静かな山々に囲まれた小さな温泉。公衆浴場のような気軽な雰囲気で、県内外からのリピーターも多い穴場的施設。地元の農家が持ち寄る野菜が買えるふれあい市や、土曜に行われる朝市も人気。
日本海の夏の味、白イカは甘くておいしい。体験は4名まで5万円(5名からは1名増えるごとにプラス1万円)。
吉川[よしかわ]川のほとりにそそり立つ、高さ13mの天然の岩窟内にある。投げ入れ堂方式の建物は、間口7m、奥行き10m、正面5.4m、側面7.1mで、国の重要文化財。現在の岩屋堂は室町時代初期(14世紀半ば)のものといわれ、鳥取県内有数の古建築だ。見上げると圧倒される。本尊は弘法大師作と伝えられる黒皮不動明王。毎年3月と7月の第4日曜日には護摩法要が行われ、本尊の不動明王が御開帳される。
若桜郷土文化の里内にある、明治40年(1907)建造の土蔵造、赤瓦葺の建物。若桜銀行、山陰合同銀行若桜支店の社屋として使用していたが、新社屋建造にともない昭和56年(1981)に現在地へ移築復元。館内には若桜町内の歴史資料や民俗資料を展示している。若桜町指定文化財で、「県民の建物100選」にも選ばれている。
鬼ケ城の初代城主矢部氏が創建したと伝えられる神社で、江戸時代には鳥取藩主池田の庇護を受けおり、神社には後醍醐天皇の短冊、名和長年の鉾、平盛継の陣笠、平師盛の甲冑などといわれる多くの寄進物があったことが宝物帳で確認できると言われる。境内は広く原生林によって鎮守の森が形成され、「若桜神社社そう」として昭和57年(1982)に鳥取県の天然記念物に指定されている。
移築復元した町内の文化財建造物「三百田氏住宅」「若桜町歴史民俗資料館」「永福寺山門」や「山村文化伝習施設たくみの館」「若桜森林公園」を併設する。森林公園の遊歩道を登ると、四阿[あずまや]からは国指定史跡若桜鬼ケ城跡[わかさおにがじょうあと]のある鶴尾山[つるのおやま]や若桜宿の街並みが一望できる。
氷ノ山山麓にある日帰り温泉施設。檜を使った切妻風の建物は天井が高く、開放感いっぱい。
若桜は氷ノ山[ひょうのせん](標高1510m)に近く、雪深い土地柄。そこで暮らしの知恵として、現在のアーケードともいえるカリヤ(仮屋)が生まれた。散策したいのは、カリヤがところどころ残るカリヤ通りと、それより1筋駅寄り、寺町沿いに白壁が連なる蔵通り[くらどおり]。「水にせかれて、ちょいと川に棲む」と野口雨情が若桜小唄に歌ったように、いたるところで流れの音が聞こえるのも魅力。古い町並みは若桜駅から徒歩約15分で一周できる。
若桜郷土文化の里内にある、元禄7年(1694)に建てられた茅葺屋根の建物。元は町内の吉川集落にあった庄屋の家で、古文書には819人の強力[ごうりき]が1年以上かけて完成させたと記録されている。内部は広間型三間取りで、囲炉裏が切ってある。鳥取県指定保護文化財で、「県民の建物100選」にも選ばれている。
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