
箕浦家武家門
県道323号を挟んで県庁と向かい合わせに立つ、旧藩士箕浦家二千石の武家門。堂々とした白壁造りで、もとは鳥取城南側の堀端に住んでいた箕浦近江屋敷の表門だったが、昭和11年(1936)に鳥取県師範学校の校門として、この場所に移築された。現在は鳥取市内に唯一残る武家門として保存されている。
- 「鳥取駅」から徒歩25分
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県道323号を挟んで県庁と向かい合わせに立つ、旧藩士箕浦家二千石の武家門。堂々とした白壁造りで、もとは鳥取城南側の堀端に住んでいた箕浦近江屋敷の表門だったが、昭和11年(1936)に鳥取県師範学校の校門として、この場所に移築された。現在は鳥取市内に唯一残る武家門として保存されている。
若桜郷土文化の里内にある、明治40年(1907)建造の土蔵造、赤瓦葺の建物。若桜銀行、山陰合同銀行若桜支店の社屋として使用していたが、新社屋建造にともない昭和56年(1981)に現在地へ移築復元。館内には若桜町内の歴史資料や民俗資料を展示している。若桜町指定文化財で、「県民の建物100選」にも選ばれている。
上淀廃寺跡をはじめ古代遺跡が多い淀江町の、古代文化にふれられる史跡公園。復元された竪穴式住居、高床建物のほか、土器作りなどが体験できる(400円~、所要1時間)施設がある。6月下旬~8月は古代ハスや、40種類以上のハスが咲き誇る。
若桜鉄道の若桜駅にある転車台。蒸気機関車を方向転換する設備が残っていて、かつて国鉄若桜線を走っていたC12形蒸気機関車を保存している。蒸気機関車は見学や運転体験などもできる。平成20年(2008)には国の登録有形文化財に駅舎や鉄道関連施設が登録された。
江戸時代、宿場町として栄えた地に佇む大邸宅。智頭杉をはじめ様々な銘木を使用し、3000坪の敷地の中に巨木の梁組が見渡せる吹き抜けの土間、40あまりの部屋、7棟の蔵を有する近代和風建築の傑作。また400坪の庭園「石谷氏庭園」は国登録名勝地・鳥取県指定名勝に指定されている。
日本百名城である鳥取城跡を整備した自然公園。天守閣跡や二ノ丸跡などの遺構が残り、春は桜の名所としても名高い。明治時代、皇太子が山陰行啓の折に宿舎とした白亜の洋館「仁風閣」も見学できる。
秀吉も陣を築いた丸山砦跡にそびえ建つ河原城。館内は町の魅力を紹介するオモシロ情報館。4階のパノラマ展望台からは四季折々の絶景が臨める。夜はライトアップされ、まさに天空に浮かぶ城。
浜村海岸を見下ろせる魚見台に立つ歌碑。「何の因果で貝殻こぎ習うた カワイヤノー、カワイヤノー 色は黒うなる 身はやせる」で知られる『貝がら節』は、浜村の漁師たちが歌い継いだ作業唄。鳥取県を代表する民謡だ。浜村海岸の沖合いにはホタテ貝が周期的に群れをなしてやってくるが、かつてその漁は舟を漕ぎながら鉄のジョレンを引くという過酷なものであった。その櫓こぎの苦労を少しでも紛らわすために自然に生まれたせいか、貝がら節にはリズミカルでいながらどこか哀愁が漂う。浜村駅前にもホタテの台座の上で貝がらを背負う、子供たちのモニュメントが立っている。
長通寺を右手に見ながら苔むした石段を踏み、シイノキにおおわれた小高い丘へ上ると中腹に立つ。巨石を積んだ石塔のようなこの構築物は6~7世紀の造立といわれ、心柱のエンタシス式のふくらみや忍冬の文様に古代大陸文化の影響が見られる珍しいものだ。
山中鹿介は戦国時代の武士。主君尼子氏再興のために尽力したが、天正6年(1578)、毛利との戦いに敗れ、安芸の国に護送される途中で非業の死をとげた。鹿野城を築いた亀井茲矩は鹿介の義弟にあたる。茲矩は鹿介の死から30年後、慰霊のために菩提寺として幸盛寺を建立し、墓碑を立てた。ちなみに幸盛寺の名は、鹿介の正式名である鹿介幸盛[ゆきもり]からきている。
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