
国史跡 鳥取藩主 池田家墓所
初代光仲[みつなか]から11代慶栄[よしたか]までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されている。玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、初代光仲の墓所は3段の台座の上に、江戸時代の大名の墓に特徴的な台石をのせた独特の形状で、高さは3m近くあり、藩主の絶大な力を物語る。宇倍神社からは徒歩10分。
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初代光仲[みつなか]から11代慶栄[よしたか]までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されている。玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、初代光仲の墓所は3段の台座の上に、江戸時代の大名の墓に特徴的な台石をのせた独特の形状で、高さは3m近くあり、藩主の絶大な力を物語る。宇倍神社からは徒歩10分。
海とくらしの史料館の隣に広がる公園。文久3年(1863)、幕末の有事に備えて築かれた鳥取藩台場8カ所のうちの一つで、国の史跡に指定されている台場跡を中心に整備されたものだ。園内には明治28年(1895)に開設された山陰最古の木造灯台が復元されているほか、島根県美保関との間をつなぐ境水道大橋を展望するポイントにもなっている。春は250本が咲き誇る桜の名所。
元弘3年(1333)、隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が無事に名和湊(現在の御来屋港)へ到着した際、しばらく腰掛けたと伝わる岩。30年前までは海中にあったが、漁港の改修により海から引き上げられ、現在では海面から1.4mの陸の上に祀られている。
長通寺を右手に見ながら苔むした石段を踏み、シイノキにおおわれた小高い丘へ上ると中腹に立つ。巨石を積んだ石塔のようなこの構築物は6~7世紀の造立といわれ、心柱のエンタシス式のふくらみや忍冬の文様に古代大陸文化の影響が見られる珍しいものだ。
吉川[よしかわ]川のほとりにそそり立つ、高さ13mの天然の岩窟内にある。投げ入れ堂方式の建物は、間口7m、奥行き10m、正面5.4m、側面7.1mで、国の重要文化財。現在の岩屋堂は室町時代初期(14世紀半ば)のものといわれ、鳥取県内有数の古建築だ。見上げると圧倒される。本尊は弘法大師作と伝えられる黒皮不動明王。毎年3月と7月の第4日曜日には護摩法要が行われ、本尊の不動明王が御開帳される。
明治時代の酒蔵を改装した魚のはく製史料館。700種類のはく製は全て中身のない本物。海のギャング「ホホジロザメ」や深海からの使者「リュウグウノツカイ」、かわいい巨体「マンボウ」が展示してあり、撮影もOK。キッズスペースもある。
900棟以上の建物跡や30基を超える墳丘墓などが発掘されており、弥生時代の集落遺跡としては国内屈指の規模を誇る。現在は、集落が最も栄えていた頃の景観が再現されている。ボランティアガイドによる遺跡案内や土・日曜、祝日には火起こしや勾玉づくりなどさまざまな体験ができる、「お気楽 弥生気分」を楽しめる。また、日曜と祝日の11時から、予約不要で発掘現場を再現した発掘体感ひろばではっくつ体験も行っている(5~11月)。
弥生時代から中世に造られた巨大複合遺跡。遺跡で見つかった埴輪が、本来古墳ではない場所で発見されたことで注目される。現在、1号墳が移転復元されている。
弥生時代から中世にかけての巨大複合遺跡。弥生時代から奈良時代の竪穴住居址や掘立柱建物、井戸などの生活の跡が200棟以上、弥生時代から奈良時代、そして中世の墓が300基以上発掘された。中でも直径33mの円墳である1号墳からは、ほぼ完全な形で女性の埋葬遺骨が発見され、話題を呼んだ。現在は、移転復元された1号墳のみ見学ができる。
若桜鉄道の若桜駅にある転車台。蒸気機関車を方向転換する設備が残っていて、かつて国鉄若桜線を走っていたC12形蒸気機関車を保存している。蒸気機関車は見学や運転体験などもできる。平成20年(2008)には国の登録有形文化財に駅舎や鉄道関連施設が登録された。
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