玄忠寺
伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
- 「鳥取駅」から徒歩25分
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伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
白壁土蔵群のほど近くに立つ寺。慶長10年(1605)の建立。倉吉三万石(実質は四千石といわれている)に移封された8年後、29歳で他界した安房国(千葉)館山城の最後の城主・里見安房守忠義[さとみあわのかみただよし]公と8人の家臣八賢士の墓がある。忠義公と八賢士は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルといわれる。
元禄12年(1699)建立の寺院で、古来から伝わる占星術をアレンジした占いが評判。戦国時代には戦や政治などに利用したという占いで、生年月日から星を算出し、自分の性格や健康、対人関係などを知れるほか、相手の星を知ることで相性も占える。
奈良時代創建の古刹。打吹山の急な斜面に立つ本堂は、地形を利用した懸造[かけづくり]だ。奉納された、たくさんの絵馬が有名で、なかには絵から抜け出し暴れたという伝説をもつ優れた作品も。本尊十一面観音を安置する厨子は、室町後期の作で国の重要文化財に指定されている。
創設年代は明らかではないが、古くから伯耆国の一ノ宮として信仰を集め、安産の神様として知られる格式の高い神社だ。大国主命の娘である下照姫命[したてるひめのみこと]が出雲からこの地につき住居を定めたといわれている。また、才色兼備の女神であったとつたえられていることから女子力アップのパワースポットとしても有名。現在の社殿は文化15年(1818)に再建されたもの。
三朝温泉の守り神として知られ、清めの水が温泉という三朝ならではの珍しい神社。飲泉可なので、健康を祈願して飲んでみよう。
大山寺の山門下から左へ、日本一長い自然石の石畳の参道をたどると、大己貴命[おおなむちのみこと]を祀る大神山神社奥宮に着く。権現造の荘厳な本殿、幣殿、拝殿ともに重要文化財指定。また、本殿に向かって左横に立つ下山神社(重要文化財)は、津和野藩主亀井氏が文化2年(1805)に寄進したもの。奥宮に至るまでの参道には、金門や後向き門などのみどころが点在し、さらに40分ほど登山道を上ると荒々しい景観の元谷に至る。
大化4年(648)創建の因幡一の宮。社殿背後の亀金[かめがね]の丘は、4世紀末~5世紀初頭のものとみられる前期古墳。ここで武内宿禰[たけのうちのすくね]が忽然と姿を消したという言い伝えから、彼の墓所ともいわれている。武内宿禰は景行から仁徳まで5代の天皇に仕え、360歳を越すまで生きたという伝説の人。彼の生涯にあやかり立身出世、健康長寿に御利益があると信仰を集める。明治・大正・昭和と、1円・5円紙幣に社殿と命の肖像画が掲載された。
岩井温泉の守り神の御井神[みゆのかみ]をまつる神社。創建は弘仁2年(811)、『延喜式』にも記された古社である。神社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門のそばには、約1300年前創建の岩井廃寺(弥勒寺)三重塔の心礎(史跡)が残っている。地元では古くから「鬼の碗」[おにのわん]とよばれてきた、穴のあいた巨大な岩で、横3.63m、縦2.36mと、日本最大級の大きさを誇る。
天平勝宝8年(756)、行基が建立したと伝えられる寺院で、国の重要文化財に指定された木造地蔵菩薩半跏像を祭る。檜の寄木造で、高さは3.6mと巨大。像内の支柱には、この像が鎌倉時代の造立であり、寛永17年(1640)、地元の人々によって再興されたことが記されている。顔立ちや上体の量感に鎌倉時代の特徴がある。
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