宇倍神社
大化4年(648)創建の因幡一の宮。社殿背後の亀金[かめがね]の丘は、4世紀末~5世紀初頭のものとみられる前期古墳。ここで武内宿禰[たけのうちのすくね]が忽然と姿を消したという言い伝えから、彼の墓所ともいわれている。武内宿禰は景行から仁徳まで5代の天皇に仕え、360歳を越すまで生きたという伝説の人。彼の生涯にあやかり立身出世、健康長寿に御利益があると信仰を集める。明治・大正・昭和と、1円・5円紙幣に社殿と命の肖像画が掲載された。
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大化4年(648)創建の因幡一の宮。社殿背後の亀金[かめがね]の丘は、4世紀末~5世紀初頭のものとみられる前期古墳。ここで武内宿禰[たけのうちのすくね]が忽然と姿を消したという言い伝えから、彼の墓所ともいわれている。武内宿禰は景行から仁徳まで5代の天皇に仕え、360歳を越すまで生きたという伝説の人。彼の生涯にあやかり立身出世、健康長寿に御利益があると信仰を集める。明治・大正・昭和と、1円・5円紙幣に社殿と命の肖像画が掲載された。
『古事記』の因幡の白兎を祀った小さな神社。創建は明らかではないが、現在の社殿は明治29年(1896)に再建されたものだ。境内の池は、白兎が大国主[おおくにぬし]神の言葉に従って身体を洗ったという池。周囲には常緑のタブ・シイ・カクレミノなどが茂っている。日本海沿岸の原始林の特徴を残すものとして、この樹叢[じゅそう]は国の天然記念物に指定されている。白兎がお礼に八上姫との縁を結んだことから、縁結びの神様として知られている。
伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
中国三十三観音霊場の一つ。承和年間(834~848)に慈覚大師が創建したという寺院で、摩尼山中腹に立つ。麓から長く急な石段を上ると境内で、門前には山菜料理の茶店が並び一休みできる。
奈良時代創建の古刹。打吹山の急な斜面に立つ本堂は、地形を利用した懸造[かけづくり]だ。奉納された、たくさんの絵馬が有名で、なかには絵から抜け出し暴れたという伝説をもつ優れた作品も。本尊十一面観音を安置する厨子は、室町後期の作で国の重要文化財に指定されている。
慶雲3年(706)、役行者によって開かれた古刹。山岳仏教の霊場で、標高900mの三徳山全山が国の名勝・史跡。本堂から投入堂[なげいれどう]へは往復登山参拝1時間40分の山道。途中に文殊堂(重要文化財)、地蔵堂(重要文化財)、鐘楼等が点在する。三佛寺奥院投入堂は標高520mの断崖に平安後期に建てられた懸崖造の神社建築で、鳥取県で唯一の国宝建造物。宝物殿で拝観できる本尊の蔵王権現立像(重要文化財)は、仁安3年(1168)康慶作。
一反木綿をデザインしたユニークな鳥居が目印の妖怪神社。妖怪ロボットが運勢を占うからくり妖怪おみくじが名物で、200円投入すると妖怪がカプセルに入ったおみくじを運んできてくれる。
創設年代は明らかではないが、古くから伯耆国の一ノ宮として信仰を集め、安産の神様として知られる格式の高い神社だ。大国主命の娘である下照姫命[したてるひめのみこと]が出雲からこの地につき住居を定めたといわれている。また、才色兼備の女神であったとつたえられていることから女子力アップのパワースポットとしても有名。現在の社殿は文化15年(1818)に再建されたもの。
天平勝宝8年(756)、行基が建立したと伝えられる寺院で、国の重要文化財に指定された木造地蔵菩薩半跏像を祭る。檜の寄木造で、高さは3.6mと巨大。像内の支柱には、この像が鎌倉時代の造立であり、寛永17年(1640)、地元の人々によって再興されたことが記されている。顔立ちや上体の量感に鎌倉時代の特徴がある。
昼なお暗い鬱蒼とした樹林内に、不動滝・湯原滝・妙円滝の3つの滝が水飛沫を上げ、霊場という呼び名がいかにも相応しい。かつては山伏たちの修行の場とされ、今でも不動滝のそばにある祠では、8月の第1日曜に山岳修験風の行「湯三昧」行われる。
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