
興禅寺
初代鳥取藩主池田光仲[いけだみつなか]の菩提寺で、黄檗宗[おうばくしゅう]の禅寺。力強い美しさで知られる書院造の庭園は、桃山時代の様式を残す池泉観賞式庭園。境内にはそのほか、キリシタン灯籠、荒木又右衛門[あらきまたえもん]の助力で弟の仇討ちをした渡辺数馬[わたなべかずま]の墓、放浪の詩人尾崎放哉[おざきほうさい]の句碑なども点在している。
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初代鳥取藩主池田光仲[いけだみつなか]の菩提寺で、黄檗宗[おうばくしゅう]の禅寺。力強い美しさで知られる書院造の庭園は、桃山時代の様式を残す池泉観賞式庭園。境内にはそのほか、キリシタン灯籠、荒木又右衛門[あらきまたえもん]の助力で弟の仇討ちをした渡辺数馬[わたなべかずま]の墓、放浪の詩人尾崎放哉[おざきほうさい]の句碑なども点在している。
岩井温泉の守り神の御井神[みゆのかみ]をまつる神社。創建は弘仁2年(811)、『延喜式』にも記された古社である。神社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門のそばには、約1300年前創建の岩井廃寺(弥勒寺)三重塔の心礎(史跡)が残っている。地元では古くから「鬼の碗」[おにのわん]とよばれてきた、穴のあいた巨大な岩で、横3.63m、縦2.36mと、日本最大級の大きさを誇る。
『古事記』の因幡の白兎を祀った小さな神社。創建は明らかではないが、現在の社殿は明治29年(1896)に再建されたものだ。境内の池は、白兎が大国主[おおくにぬし]神の言葉に従って身体を洗ったという池。周囲には常緑のタブ・シイ・カクレミノなどが茂っている。日本海沿岸の原始林の特徴を残すものとして、この樹叢[じゅそう]は国の天然記念物に指定されている。白兎がお礼に八上姫との縁を結んだことから、縁結びの神様として知られている。
かつては妙見大権現[みょうけんだいごんげん]とよばれる地元の産土神だったが、元禄5年(1692)に茂宇気神社と改名。名前の語呂から商売繁盛に御利益があるといわれる。町から少し離れているうえ、明治元年(1868)に造られた264段という長い石段を上らなければならないが、参拝者が絶えない。
古い町並みの中にたたずむ古刹。和銅[わどう]年間(708~715)の創建で、慶長9年(1604)、修験者の覚行[かくぎょう]が再興した。開基以来のものと思われる本尊の木造薬師如来像、脇侍の日光菩薩、月光菩薩、吉祥天立像の4体が重要文化財。拝観には予約が必要。
伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
倉吉市の西郊外に立つ天台宗の古刹。寺伝によれば創建は承和8年(841)。その後一時廃絶し、文祿2年(1593)に恵信僧都源信[えしんそうずげんしん]が再興した。本尊木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作品で国の重要文化財。近くには高さ30m、幹回り11.2mにもなる大イチョウがある。阿弥陀如来坐像の拝観は要連絡。
バス停から田んぼを横切り、細い石段を上り詰めると、文久元年(1861)建立の本堂が樹木に囲まれて立っている。奈良時代初期、聖武天皇の皇后、光明皇后の御母県犬養橘三千代[あがたのいぬかいのたちばなのみちよ]の誓願で建てられたといわれる古刹で、奈良の法隆寺、三河の蓬莱山薬師寺と共に日本三薬師の一つといわれる。境内から見る田園風景もすばらしい。
中国三十三観音霊場の一つ。承和年間(834~848)に慈覚大師が創建したという寺院で、摩尼山中腹に立つ。麓から長く急な石段を上ると境内で、門前には山菜料理の茶店が並び一休みできる。
のどかな農村風景の中にたたずむ曹洞宗の古刹。明治期の日本画家八百谷冷泉[やおたにれいせん]の襖絵があり、昭和31年(1956)にここを訪れた作家志賀直哉の碑が、本堂の入口横に立つ。
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