峰寺薬師堂
バス停から田んぼを横切り、細い石段を上り詰めると、文久元年(1861)建立の本堂が樹木に囲まれて立っている。奈良時代初期、聖武天皇の皇后、光明皇后の御母県犬養橘三千代[あがたのいぬかいのたちばなのみちよ]の誓願で建てられたといわれる古刹で、奈良の法隆寺、三河の蓬莱山薬師寺と共に日本三薬師の一つといわれる。境内から見る田園風景もすばらしい。
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バス停から田んぼを横切り、細い石段を上り詰めると、文久元年(1861)建立の本堂が樹木に囲まれて立っている。奈良時代初期、聖武天皇の皇后、光明皇后の御母県犬養橘三千代[あがたのいぬかいのたちばなのみちよ]の誓願で建てられたといわれる古刹で、奈良の法隆寺、三河の蓬莱山薬師寺と共に日本三薬師の一つといわれる。境内から見る田園風景もすばらしい。
元禄12年(1699)建立の寺院で、古来から伝わる占星術をアレンジした占いが評判。戦国時代には戦や政治などに利用したという占いで、生年月日から星を算出し、自分の性格や健康、対人関係などを知れるほか、相手の星を知ることで相性も占える。
戦国大名尼子[あまこ]氏の信仰篤かった逢坂八幡宮の隣にひっそりと佇む、松の根を御神体にした神社。小泉八雲もここに詣で、そのことを『日本海に沿うて』に書き残している。根が男根に似ており、夫婦円満や子宝に御利益があるといわれている。木の根神社付近一帯は散策に手ごろな逢坂八幡公園。中心は逢坂八幡宮で、貞観7年(865)の創建だ。逢坂八幡神社に頼めば祈祷してもらえる。
地元では「藤寺」という愛称で親しまれている住雲寺。樹齢約50年、長く伸びた房は「6尺藤」とよばれ、美しく幻想的な世界が広がる。ゴールデンウィークには藤まつりを開催。大正琴の演奏や、藤棚の下にお茶席を設け抹茶を振る舞うなど、さまざまな催しが行われる。
のどかな農村風景の中にたたずむ曹洞宗の古刹。明治期の日本画家八百谷冷泉[やおたにれいせん]の襖絵があり、昭和31年(1956)にここを訪れた作家志賀直哉の碑が、本堂の入口横に立つ。
倉吉市の西郊外に立つ天台宗の古刹。寺伝によれば創建は承和8年(841)。その後一時廃絶し、文祿2年(1593)に恵信僧都源信[えしんそうずげんしん]が再興した。本尊木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作品で国の重要文化財。近くには高さ30m、幹回り11.2mにもなる大イチョウがある。阿弥陀如来坐像の拝観は要連絡。
一反木綿をデザインしたユニークな鳥居が目印の妖怪神社。妖怪ロボットが運勢を占うからくり妖怪おみくじが名物で、200円投入すると妖怪がカプセルに入ったおみくじを運んできてくれる。
中国三十三観音霊場の一つ。承和年間(834~848)に慈覚大師が創建したという寺院で、摩尼山中腹に立つ。麓から長く急な石段を上ると境内で、門前には山菜料理の茶店が並び一休みできる。
『古事記』の因幡の白兎を祀った小さな神社。創建は明らかではないが、現在の社殿は明治29年(1896)に再建されたものだ。境内の池は、白兎が大国主[おおくにぬし]神の言葉に従って身体を洗ったという池。周囲には常緑のタブ・シイ・カクレミノなどが茂っている。日本海沿岸の原始林の特徴を残すものとして、この樹叢[じゅそう]は国の天然記念物に指定されている。白兎がお礼に八上姫との縁を結んだことから、縁結びの神様として知られている。
奈良時代創建の古刹。打吹山の急な斜面に立つ本堂は、地形を利用した懸造[かけづくり]だ。奉納された、たくさんの絵馬が有名で、なかには絵から抜け出し暴れたという伝説をもつ優れた作品も。本尊十一面観音を安置する厨子は、室町後期の作で国の重要文化財に指定されている。
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