鳥取県立むきばんだ史跡公園
900棟以上の建物跡や30基を超える墳丘墓などが発掘されており、弥生時代の集落遺跡としては国内屈指の規模を誇る。現在は、集落が最も栄えていた頃の景観が再現されている。ボランティアガイドによる遺跡案内や土・日曜、祝日には火起こしや勾玉づくりなどさまざまな体験ができる、「お気楽 弥生気分」を楽しめる。また、日曜と祝日の11時から、予約不要で発掘現場を再現した発掘体感ひろばではっくつ体験も行っている(5~11月)。
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900棟以上の建物跡や30基を超える墳丘墓などが発掘されており、弥生時代の集落遺跡としては国内屈指の規模を誇る。現在は、集落が最も栄えていた頃の景観が再現されている。ボランティアガイドによる遺跡案内や土・日曜、祝日には火起こしや勾玉づくりなどさまざまな体験ができる、「お気楽 弥生気分」を楽しめる。また、日曜と祝日の11時から、予約不要で発掘現場を再現した発掘体感ひろばではっくつ体験も行っている(5~11月)。
加茂川の京橋のたもとに立つ、江戸時代に海運業を営み、地元の開発にも私財を投じたという回船問屋・後藤家の邸宅。江戸中期に建てられた主屋と一番蔵、江戸後期の二番蔵は国指定重要文化財。主屋の切妻屋根に本瓦、千本格子に家紋入の白壁など、栄華を偲ばせる凝った造りに当時の財力が感じられる。現在も住居として利用されており、見学は外観のみ。
寛文4年(1664)に生まれた両国梶之助は、因幡、伯耆の両国に並ぶもののない力士だったことから、初代鳥取藩主池田光仲[みつなか]により、こう名付けられた。元禄時代(1688~1704)を代表する名力士で、芝居『濡れ髪長五郎』のモデルといわれる。180kgにもなる碇を2つも持ち上げたなど怪力無双を伝える逸話の多い人物だ。
石谷家の分家で、明治期に建てられた町家と見事な日本庭園が見学できる。『伊豆の踊り子』や『青い山脈』で知られる地元出身映画監督・西河克己の記念館も併設され、映写機やポスターなどを展示している。国の登録有形文化財に登録されている。
弥生時代から中世にかけての巨大複合遺跡。弥生時代から奈良時代の竪穴住居址や掘立柱建物、井戸などの生活の跡が200棟以上、弥生時代から奈良時代、そして中世の墓が300基以上発掘された。中でも直径33mの円墳である1号墳からは、ほぼ完全な形で女性の埋葬遺骨が発見され、話題を呼んだ。現在は、移転復元された1号墳のみ見学ができる。
気高町と青谷町の境にある海辺の高台。展望所があり、大きな穴のあいた覗岩と、『貝がら節』の音符と歌詞を彫った碑が立つ。昔は、ここで魚影を探したという言い伝えどおり、海の展望は抜群。天気のよい日には因幡、但馬の山々や鳥取砂丘方面まで見晴らせる。
遺構として石垣と堀が残るのみだが、公園として整備され、春は桜の名所となる。南に鷲峰山[じゅうぼうやま]、北に日本海を見晴らす標高148mの天守閣跡まで散策路が通じている。
江戸時代、宿場町として栄えた地に佇む大邸宅。智頭杉をはじめ様々な銘木を使用し、3000坪の敷地の中に巨木の梁組が見渡せる吹き抜けの土間、40あまりの部屋、7棟の蔵を有する近代和風建築の傑作。また400坪の庭園「石谷氏庭園」は国登録名勝地・鳥取県指定名勝に指定されている。
岩井温泉の守り神の御井神[みゆのかみ]をまつる神社。創建は弘仁2年(811)、『延喜式』にも記された古社である。神社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門のそばには、約1300年前創建の岩井廃寺(弥勒寺)三重塔の心礎(史跡)が残っている。地元では古くから「鬼の碗」[おにのわん]とよばれてきた、穴のあいた巨大な岩で、横3.63m、縦2.36mと、日本最大級の大きさを誇る。
大神山神社奥宮への石畳の参道から標識に従って右手の横道に入ると、左右から岩壁が迫る南光河原に出る。この場所は八大竜王が開いたと伝えられ、岩壁そのものを神門にみたて、御金門ともよばれる。大山北壁を頭上に仰ぐ絶好の撮影ポイントだ。
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