
岡益の石堂
長通寺を右手に見ながら苔むした石段を踏み、シイノキにおおわれた小高い丘へ上ると中腹に立つ。巨石を積んだ石塔のようなこの構築物は6~7世紀の造立といわれ、心柱のエンタシス式のふくらみや忍冬の文様に古代大陸文化の影響が見られる珍しいものだ。
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長通寺を右手に見ながら苔むした石段を踏み、シイノキにおおわれた小高い丘へ上ると中腹に立つ。巨石を積んだ石塔のようなこの構築物は6~7世紀の造立といわれ、心柱のエンタシス式のふくらみや忍冬の文様に古代大陸文化の影響が見られる珍しいものだ。
浜村海岸を見下ろせる魚見台に立つ歌碑。「何の因果で貝殻こぎ習うた カワイヤノー、カワイヤノー 色は黒うなる 身はやせる」で知られる『貝がら節』は、浜村の漁師たちが歌い継いだ作業唄。鳥取県を代表する民謡だ。浜村海岸の沖合いにはホタテ貝が周期的に群れをなしてやってくるが、かつてその漁は舟を漕ぎながら鉄のジョレンを引くという過酷なものであった。その櫓こぎの苦労を少しでも紛らわすために自然に生まれたせいか、貝がら節にはリズミカルでいながらどこか哀愁が漂う。浜村駅前にもホタテの台座の上で貝がらを背負う、子供たちのモニュメントが立っている。
吉川[よしかわ]川のほとりにそそり立つ、高さ13mの天然の岩窟内にある。投げ入れ堂方式の建物は、間口7m、奥行き10m、正面5.4m、側面7.1mで、国の重要文化財。現在の岩屋堂は室町時代初期(14世紀半ば)のものといわれ、鳥取県内有数の古建築だ。見上げると圧倒される。本尊は弘法大師作と伝えられる黒皮不動明王。毎年3月と7月の第4日曜日には護摩法要が行われ、本尊の不動明王が御開帳される。
石谷家の分家で、明治期に建てられた町家と見事な日本庭園が見学できる。『伊豆の踊り子』や『青い山脈』で知られる地元出身映画監督・西河克己の記念館も併設され、映写機やポスターなどを展示している。国の登録有形文化財に登録されている。
斉尾廃寺跡(特別史跡)は、白鳳時代(7世紀後半~8世紀初頭)に建立された古寺の跡。建物は残っていないが、金堂の基壇や講堂跡の礎石が残る。本堂は南面し、東に金堂、西に塔を配した法隆寺式伽藍配置。山陰で唯一、特別史跡に指定されている。
弥生時代後期から古墳時代中頃の集落跡(史跡)で、住居100戸以上の大規模なもの。発掘後に埋め戻し、史跡公園として公開している。園内の福市考古資料館(料金:無料、時間:9時30分~16時30分、休み:火曜、祝日の翌日、電話:0859-26-3784)では市内からの出土品や考古資料が見られる。
元弘3年(1333)、隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が無事に名和湊(現在の御来屋港)へ到着した際、しばらく腰掛けたと伝わる岩。30年前までは海中にあったが、漁港の改修により海から引き上げられ、現在では海面から1.4mの陸の上に祀られている。
海とくらしの史料館の隣に広がる公園。文久3年(1863)、幕末の有事に備えて築かれた鳥取藩台場8カ所のうちの一つで、国の史跡に指定されている台場跡を中心に整備されたものだ。園内には明治28年(1895)に開設された山陰最古の木造灯台が復元されているほか、島根県美保関との間をつなぐ境水道大橋を展望するポイントにもなっている。春は250本が咲き誇る桜の名所。
明治時代の酒蔵を改装した魚のはく製史料館。700種類のはく製は全て中身のない本物。海のギャング「ホホジロザメ」や深海からの使者「リュウグウノツカイ」、かわいい巨体「マンボウ」が展示してあり、撮影もOK。キッズスペースもある。
根雨は松江の殿様が参勤交代に使った出雲街道の宿場町。宿舎である本陣を中心に真っ直ぐな道に沿う水路に流れる清らかな水に心癒される。商家の様々な形の格子窓や漆喰の白壁、軒下の持ち送り板の彫刻は興味深い。格式ある本陣の門や宿の両端に作られた枡形も残っており、行き交う人々で賑やかだった往時を偲ぶことができる。たたら製鉄で財を成した大近藤家や出店近藤家などの商家が立ち並ぶ街並に、昭和前期建築の旧銀行建物や旧公会堂の洋式建物が不思議に溶け込んでいて、まるでタイムスリップしたかのような懐かしさを覚える。
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