櫻井寺
門前に「史跡天誅組本陣址」の石標が立つ。大和に挙兵した天誅組は文久3年(1863)8月に五條代官所を襲撃、この寺を本陣とし五條仮政府を設けたことから、明治維新発祥の地ともいわれる。本堂前には、代官鈴木源内ら5人の首を洗ったという石手水鉢[ちょうずばち]が置かれている。
- 「五条(奈良)駅」から徒歩8分/「大和二見駅」から徒歩21分
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門前に「史跡天誅組本陣址」の石標が立つ。大和に挙兵した天誅組は文久3年(1863)8月に五條代官所を襲撃、この寺を本陣とし五條仮政府を設けたことから、明治維新発祥の地ともいわれる。本堂前には、代官鈴木源内ら5人の首を洗ったという石手水鉢[ちょうずばち]が置かれている。
金峯神社からさらに山中に分け入った所にある小さな庵。『新古今和歌集』の代表的歌人の一人である西行が、俗塵を避け3年間幽居した場所と伝わり、庵の中には西行像が安置されている。西行が「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなきすみかかな」と詠んだとされる苔清水も近くに残り、西行の歌碑や、西行を慕ってここを訪れた芭蕉の句碑が立つ。付近は桜、紅葉が美しい。
室生寺から東に室生川を1kmほどさかのぼった所にある式内社。龍神を祭り、雨乞いの神として知られる。平安時代には朝廷から雨乞いの使者が遣わされたという。社殿は近世以降のもので、1kmほど山中に分け入った所に龍神が住むという穴が口を開ける。
水の分配を司る天之水分[あめのみくまり]大神を主祭神に、玉依姫命(神像は国宝)以下6柱の神を祀る世界遺産の神社。子守宮ともいい、子授け・安産・子どもの守護神としての信仰が篤い。豊臣秀吉が子授け祈願をし、その子秀頼を授かったことから、社殿はその申し子である秀頼が慶長9年(1604)に再建したもので、桃山建築の三殿一棟の本殿、幣殿、拝殿、楼門は国の重要文化財に指定された美しい建築。
大峯山[おおみねさん]を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場。役行者が洞川で泉を発見し、八大龍王を祭ったのが始まりという。行者は境内の清水で身を清めてから入山する。
奈良時代末期、興福寺の高僧が東宮(後の桓武天皇)の病気平癒の祈祷行場としたのが始まり。高野山金剛峰寺が女人禁制だったのに対し、室生寺は女人の参詣を許可し、「女人高野」と呼ばれた。山中に柿葺[こけらぶき]の金堂(国宝)や弥勒堂(国指定重要文化財)、檜皮葺[ひわだぶき]の灌頂堂とも呼ばれる本堂(国宝)などが散在。金堂には中尊釈迦如来立像(国宝)などを安置する。奈良時代後期建立の高さ16mの五重塔(国宝)は屋外に立つ塔としては最小で、法隆寺の五重塔に次ぐ古塔だ。塔の左の道を登れば奥の院へと至る。
吉野山の尾根上にひときわ高くそびえる。修験道の開祖、役行者[えんのぎょうじゃ]によって奈良時代に開かれた金峯山寺の本堂(国宝)で、高さ約34m。木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさだ。堂内には杉、檜、ナシ、ツツジなど自然木をそのまま使った68本の柱が林立、山岳宗教の荒々しい雰囲気を漂わせている。3体ある本尊の蔵王権現は高さ7mの巨像。国内最大といわれる厨子に納められた秘仏だ。
標高1076mの玉置山山頂近く鎮座し、熊野三山の奥の院と称される古社。世界遺産に指定された大峯奥駈道の道上にあり修験道の行場としても栄えた。境内は樹齢3000年といわれる神代杉を始め、天然記念物に指定されている杉の巨樹群に包まれ、春にはシャクナゲが一円に開花する。社務所内では狩野派の筆による極彩色の杉戸・襖絵が拝観出来る。社務所は重要文化財に指定されている。
天長元年(824)、淳和天皇の勅願で空海が開いたと伝わる古刹。かつては大寺だったが、兵火と廃仏毀釈で衰えた。平安時代の端正な鐘楼門(重要文化財)は唯一の創建当初の遺構。本尊の阿弥陀三尊像(重要文化財)は藤原時代末期の作だが、玉眼[ぎょくがん]を使った最古の仏像。横11m、縦4mの大地獄絵が例年10月23日~11月30日に開帳される。また、境内1万2000坪にわたり四季折々の花が咲き、春はツツジ、杜若、秋は紅葉(全国紅葉の名所100選)が美しい「花と文化財の寺」である。
和爾下神社古墳の後円部に立ち、本殿(重要文化財)は桃山時代の建築様式を残す。付近は古代豪族、和爾氏の本拠地と伝わり、和爾氏の祖神を祭っている。神社の境内には柿本人麻呂の墓といわれる、歌塚と刻まれた石碑が立つ。
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