丹生川上神社中社
四郷川、高見川、日裏川[ひうらがわ]の合流点に鎮座する水の神。天武4年(675)、降雨、止雨を祈願する社として創建された。本殿は三間社流造、檜皮葺き。鎌倉時代作の石灯籠(重要文化財)もみどころ。
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四郷川、高見川、日裏川[ひうらがわ]の合流点に鎮座する水の神。天武4年(675)、降雨、止雨を祈願する社として創建された。本殿は三間社流造、檜皮葺き。鎌倉時代作の石灯籠(重要文化財)もみどころ。
大峯山[おおみねさん]を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場。役行者が洞川で泉を発見し、八大龍王を祭ったのが始まりという。行者は境内の清水で身を清めてから入山する。
大和国の地主神である大和大国魂[やまとおおくにたま]神と、八千戈[やちほこ]神、御年[みとし]神を祀る古社。『日本書紀』によると、大和大国魂神は天照大神と並ぶ神威があり、初め宮中に祀られていたが巻向山北麓に移され、のちに現在地に遷座した。境内は東西に細長く、古代の幹線道上ツ道[かみつみち]に面して一の鳥居が立ち、樹林に包まれた長い参道を抜けると、明治初頭に改築された社殿3殿が立つ。
門前に「史跡天誅組本陣址」の石標が立つ。大和に挙兵した天誅組は文久3年(1863)8月に五條代官所を襲撃、この寺を本陣とし五條仮政府を設けたことから、明治維新発祥の地ともいわれる。本堂前には、代官鈴木源内ら5人の首を洗ったという石手水鉢[ちょうずばち]が置かれている。
銅製の鳥居で高さ約8m。吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初で、「発心門[ほっしんもん]」と書かれた扁額を掲げている。修験者は鳥居に手を触れ、「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀[みだ]の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山する。もとは東大寺大仏鋳造の余った銅で建立したともいわれる。
広い敷地に荘厳な雰囲気を漂わせる神殿が建つ。「かんろだい」を芯に礼拝場が設けられ、北にある教祖殿や祖霊殿とは約800mの長い回廊でつながっている。天保9年(1838)に教祖中山みきによって開かれ、親神天理王命の望む「陽気ぐらし」を目指している。
弘仁9年(818)、空海が入峯した時に建てた椿山寺[ちんざんじ]に始まるといわれ、金峯山寺四律院に数えられたが、現在は単立寺院。境内の小高い位置に広がる池泉回遊式庭園の群芳園[ぐんぼうえん]は大和三庭園の一つ。秀吉が花見をし、後に細川幽斎[ゆうさい]が改修したと伝えられ、吉野の山を借景とする。寺は格調高い宿坊としても知られる。
役行者が開いたとも、空海が大峯修行の拠点にしたともいわれる古社。芸能の神として知られ、篤く信仰する音楽関係者も多い。能楽とも縁が深く、室町時代には能楽座が結成された。拝殿には能舞台が併設されており、社宝に室町以降の能面や装束、謡本を多数所蔵。近年は「パワースポット」としても知られる。
世界遺産 延喜式内大社名神大社。吉野山の奥千本にひっそりと立つ古社で、金峯山(吉野山から大峯山上ケ岳一帯)の地主の神。金精明神[こんしょうみょうじん]ともよばれる金山毘古神[かなやまひこのかみ]を祀る世界遺産の神社。中世以降、修験道の行場として知られる。藤原道長が参詣し埋納した金銅製の経筒(国宝)が江戸時代に発掘された。社殿を少し下った所に、追っ手に追われた源義経が身を隠したという義経隠れ塔が残る。追っ手に囲まれた際、屋根を蹴破って逃げたことから、蹴抜けの塔ともいわれる。
大和国水分四社(都祁、宇陀[うだ]、吉野、葛城[かつらぎ])の一つであり、水の神様として信仰される。こんもりとした森の奥に鎮座する現在の本殿(重要文化財)は、室町時代に建てられたもので、一間社春日造、檜皮葺き。本殿前にある1対の狛犬は鎌倉時代末期作といわれ、一般のものと比べ頭が小さいのが特徴。
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