
唐招提寺 金堂
唐招提寺にある、現存する天平建築最大の豪壮な建物。鑑真和上の死後、弟子の如宝が建立したと伝える。正面7間、側面4間の寄棟造。大棟の両端に鴟尾[しび]を飾った大屋根、エンタシスといわれる前面の列柱には荘重感がある。千体仏を背負った高さ3mの本尊盧舎那仏坐像(国宝)の左右に、953本の手をもつ5.4mの千手観音立像(国宝)と、像高3.36mの薬師如来立像(国宝)が並ぶ。
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唐招提寺にある、現存する天平建築最大の豪壮な建物。鑑真和上の死後、弟子の如宝が建立したと伝える。正面7間、側面4間の寄棟造。大棟の両端に鴟尾[しび]を飾った大屋根、エンタシスといわれる前面の列柱には荘重感がある。千体仏を背負った高さ3mの本尊盧舎那仏坐像(国宝)の左右に、953本の手をもつ5.4mの千手観音立像(国宝)と、像高3.36mの薬師如来立像(国宝)が並ぶ。
十一面観音像を本尊とする古寺。縁起によると、敏達[びたつ]天皇の第7皇女である片岡姫が仏教に帰依し、自らの片岡宮を寺にしたと伝えられる。また用明天皇や聖徳太子らの支援を受け、大伽藍が建造されたともいわれるが、永承元年(1046)に落雷のため多くを焼失。残った堂宇も元亀3年(1572)に松永久秀の兵火で失った。境内には桜の老木があり、隠れた名所。
天長6年(829)、神奈備山から現在地に移転。境内には陰陽石が多数置かれ、子授けの神として信仰される。2月第1日曜のおんだ祭は田植えと夫婦和合の所作で、五穀豊穣・子孫繁栄を祈願する祭として有名。
當麻寺塔頭の中核をなす浄土宗寺院。中将姫の棲身旧跡寺院として多くの信仰を集めている。5月14日の當麻寺練供養会式の儀式に使う菩薩面や装束等一切を管理している。回遊式庭園は日本唯一の双塔を最も身近な借景とし、約千株のぼたん、樹齢百年以上の大つつじ群、樹齢三百年以上とされるしだれ桜は多くの参拝者を楽しませている。また、納骨回向所としても知られている。
世界遺産 延喜式内大社名神大社。吉野山の奥千本にひっそりと立つ古社で、金峯山(吉野山から大峯山上ケ岳一帯)の地主の神。金精明神[こんしょうみょうじん]ともよばれる金山毘古神[かなやまひこのかみ]を祀る世界遺産の神社。中世以降、修験道の行場として知られる。藤原道長が参詣し埋納した金銅製の経筒(国宝)が江戸時代に発掘された。社殿を少し下った所に、追っ手に追われた源義経が身を隠したという義経隠れ塔が残る。追っ手に囲まれた際、屋根を蹴破って逃げたことから、蹴抜けの塔ともいわれる。
金峯神社からさらに山中に分け入った所にある小さな庵。『新古今和歌集』の代表的歌人の一人である西行が、俗塵を避け3年間幽居した場所と伝わり、庵の中には西行像が安置されている。西行が「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなきすみかかな」と詠んだとされる苔清水も近くに残り、西行の歌碑や、西行を慕ってここを訪れた芭蕉の句碑が立つ。付近は桜、紅葉が美しい。
四郷川、高見川、日裏川[ひうらがわ]の合流点に鎮座する水の神。天武4年(675)、降雨、止雨を祈願する社として創建された。本殿は三間社流造、檜皮葺き。鎌倉時代作の石灯籠(重要文化財)もみどころ。
大峯山[おおみねさん]を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場。役行者が洞川で泉を発見し、八大龍王を祭ったのが始まりという。行者は境内の清水で身を清めてから入山する。
推古元年(593)創建といわれ、藤原氏に崇敬された。檜皮葺きの本殿は三間社流造[さんげんしゃながれづくり]。社宝に徳川家康奉納といわれる鎧があるが、奈良国立博物館に寄託中。境内の林[りん]神社は、室町時代に中国から渡来し饅頭の製法を伝えた林浄因[りんじょういん]を祭神とする。
光仁天皇の勅願で、奈良時代最後の官寺として創建されたと伝わる。すっきりとした本堂(国宝)は、創建時の講堂を鎌倉時代に大修理したものといわれる。堀辰雄が東洋のミューズと称賛した伎芸天[ぎげいてん]像(重要文化財)は本堂に安置。ふっくらと美しく、頭を傾けた姿が魅力的だ。頭部のみ天平時代の乾漆造で、胴体は鎌倉時代の補作。同様の造りの帝釈天像(重要文化財)もまつる。ほかに本尊薬師如来像(重要文化財)、日光・月光菩薩像(重要文化財)などを安置する。小中学生は拝観不可。
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