
法隆寺 五重塔
法隆寺西院伽藍にある、日本最古の五重塔。基壇上からの総高は31.5m。各層の平面の漸減率が大きく、第5層は初層の半分になっている。屋根は本瓦葺きで、ゆるやかな勾配の美しい線を描く。相輪は全高のほぼ3分の1。初層内陣には心柱を囲むようにして須弥壇[しゅみだん]が築かれ、有名な塑像群像(国宝)がある。北面は釈迦の入滅、東面は文殊菩薩と維摩[ゆいま]居士の問答、西面は舎利分割、南面は弥勒浄土をそれぞれ表現している。
- 「法隆寺駅」から徒歩25分
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法隆寺西院伽藍にある、日本最古の五重塔。基壇上からの総高は31.5m。各層の平面の漸減率が大きく、第5層は初層の半分になっている。屋根は本瓦葺きで、ゆるやかな勾配の美しい線を描く。相輪は全高のほぼ3分の1。初層内陣には心柱を囲むようにして須弥壇[しゅみだん]が築かれ、有名な塑像群像(国宝)がある。北面は釈迦の入滅、東面は文殊菩薩と維摩[ゆいま]居士の問答、西面は舎利分割、南面は弥勒浄土をそれぞれ表現している。
推古20年(612)、用明天皇第三皇子・麻呂子親王が、兄・聖徳太子の勧めによって河内に創建し、のちに孫の當麻国見が二上山の東麓へ遷造した。当地は役行者最初の練行地とされ、金堂には飛鳥時代後期の弥勒仏坐像(国宝)と四天王(重要文化財)が祀られる。現在の本尊は、曼荼羅堂(国宝)に祀られる當麻曼荼羅(重文)で、奈良時代に中将姫が「称讃浄土経」一千巻の写経を成満した末に感得した極楽浄土の光景が表されている。シンボルの三重塔は、東塔、西塔が創建時のまま一対で揃う。ボタンも名高く、4月中旬~下旬が見ごろ。
大化元年(645)創建。本尊の文殊菩薩は鎌倉時代の大仏師・快慶作の国宝で日本最大(7m)。平安時代から魔除け・災難除けの守り神として尊崇されている陰陽師・安倍晴明公ゆかりの寺であり、全国から参拝者が絶たない。境内文殊池中央に浮かぶ金閣浮御堂霊宝館は、魔除け・災難除けの願掛け道場となっており、この御堂の回廊を自分自身が7回廻って、厄・災難を払う「災難除け七参り」を申し込むと「おさめ札と肌守り」が授与され堂内の宝物拝観ができる。
コンクリート造りの小堂に安置され、格子越しに拝観できる。高さ2.14m、幅83.5cm、厚さ21.2cmの2枚の岩に浮き彫りされた像は、右が釈迦如来、左が弥勒如来とされる。鎌倉時代の作といわれるが、天平末期という説も。もとは大神神社近くの平等寺にあったが廃仏毀釈で寺と一緒に破壊されるところを村人が移し、今も守り続けている。
法隆寺西院伽藍北西の高台にある国宝の八角円堂。養老2年(718)、光明皇后の母である橘夫人の発願により、行基が創建したと伝えられている。現在の堂は、建長2年(1250)の再建で、鎌倉時代の堂々とした気風を感じさせる。堂内中央に安置された天平後期作の本尊・薬師如来坐像(国宝)は、「峯の薬師」とも呼ばれ、高さ246cmの脱活乾漆造の大きな仏像だ。毎年2月初旬に行われる西円堂修二会[しゅにえ]の鬼追式(追儺会)は、節分の豆まきの原形という。
畝傍山[うねびやま]の麓に位置し、第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る。神武天皇が畝傍山東南の橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づき、明治23年(1890)に創建。本殿(重要文化財)は京都御所の内侍所[ないしどころ](賢所[かしこどころ])を移築したもので、手前に内拝殿、外拝殿が立つ。神域は約53万平方mにおよび、玉砂利が敷き詰められた内拝殿前の外院斎庭も清々しい。
當麻寺最古の塔頭で、創建は役行者[えんのぎょうじゃ]とされる。中将姫が剃髪した坊とも伝えられ、中将姫導きの観音という十一面観音を祭る。後西天皇の御幸の間(重要文化財)や茶室(重要文化財)があり、香藕園[こうぐうえん](名勝・史跡)は、石州作の枯淡な美をみせている。150枚もの日本画に飾られた絵天井の下で、仏画を描き写す「写仏」や、中将姫が書写した「称讃浄土経」の「写経」(料金:1500円、筆・用紙付き)も体験できる。
聖徳太子生誕の地とも、太子建立の7カ寺の一つともいわれる。創建年は推古天皇14年(606)、文献では天武9年(680)に初めて登場する。8世紀には66もの堂塔があったが、現在の本堂、観音堂などは江戸期の再建。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)などを伝え、境内に残る塔心礎は3つの副柱[そえばしら]の穴をもつ優美なもの。2つの顔が刻まれた二面石もある。除夜の鐘は、毎年12月31日23時から自由に参加し、撞くことができる。
法隆寺の大宝蔵院南側にある建物で、様式から天平時代の建立とみられる。正面7間、側面4間、細殿は正面7間、側面2間切妻造の簡素な建物。組物、小屋組などに上代構架技法の特徴をよく伝える。もともと政所という法隆寺の寺務所であったが、平安時代に入り僧が食事をする場所として使われるようになった。堂内に塑造薬師如来像(重要文化財)を安置する。
推古30年(622)に山背大兄王[やましろのおおえのおう]が、父聖徳太子の病気平癒を願って建立。土地の名にちなんで三井寺[みいでら]ともいわれた。法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していたが、創建当時の建物はない。法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを讃えられた三重塔は1944年(昭和19)に雷火で焼失し、昭和50年(1975)に昔ながらの工法で再建された。講堂には、薬師如来坐像(重要文化財)と虚空蔵[こくぞう]菩薩立像(重要文化財)の2体の飛鳥仏と6体の平安仏を安置する。
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