
円空堂
清峯寺境内にあるお堂。円空が清峯寺に滞在した折、独自の鉈[なた]はつり手法で一刀彫りした十一面千手観音菩薩像、龍頭観音菩薩像、聖観音菩薩像の3体(いずれも岐阜県の重要文化財)を安置。どれも円空の傑作として名高く、海外の展覧会にも出品されている。拝観は要予約。
- 「飛騨国府駅」から徒歩25分
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清峯寺境内にあるお堂。円空が清峯寺に滞在した折、独自の鉈[なた]はつり手法で一刀彫りした十一面千手観音菩薩像、龍頭観音菩薩像、聖観音菩薩像の3体(いずれも岐阜県の重要文化財)を安置。どれも円空の傑作として名高く、海外の展覧会にも出品されている。拝観は要予約。
稲葉山(金華山)麓に御鎮座しており、第11代垂仁天皇の長男にあたる五十瓊敷入彦命[いにしきいりひこのみこと]を祀っている。
城山公園の北側、高山城三の丸跡に鎮座する神社。西南戦争以降の飛騨出身戦没者の霊、むすびの神・飛騨大神宮、金の神・黄金神社、大工の神・飛騨匠神社、菓子の神・久和司神社がそれぞれ祀られている。境内には遺品館、農民一揆の責めを負って獄死した初代高山県知事・梅村速水の遺愛碑のほか、高山城の内堀も残る。5月3日の例大祭には、近郊の神社から獅子舞・闘鶏楽が奉納され、毎年違った神事芸能を見学可。
藤村記念館の裏手、向かい側の丘にある島崎家の菩提寺は、1665年(寛文5)に創建された臨済宗の古刹だ。小説『夜明け前』には万福寺の名で登場している。境内には島崎家の墓地があり、墓石は藤村がデザインしたといわれている。藤村の父・正樹らの墓の一段上には、島崎春樹と記された藤村と、妻冬子、長男楠雄[くすお]らの墓標が並んで立つ。遺骨は彼が晩年を過ごした神奈川県大磯の地福寺に埋葬されており、ここには遺髪と爪が納められている。また、藤村の『母を葬るのうた』の詩碑も立ち、円空作の聖観音像も本堂脇のお堂に安置されている。予約をすると精進料理3000円を味わうことができる。
750年余りの歴史をもつ神社の横参道には100本余りの桜が植えられており、岐阜県「飛騨・美濃さくら33選」にも選ばれている。ヤマザクラとソメイヨシノがほぼ同時に咲き、桜のトンネルを作る。隣接する古今伝授の里フィールドミュージアムでも多品種の桜が楽しめる。
江戸時代の宝暦年間、薩摩藩が幕府の命により行った木曽三川の治水工事は、5年というわずかな期間に80名以上の犠牲を出すなど、非常に困難な事業だった。この事業によりつくられた揖斐川と長良川の背割堤に、工事完了の直後、薩摩藩士が涙とともに植えた松が、約1kmの美しい松並木になっている。工事の全責任をとり切腹した平田靱負を祭神とする治水神社もあり、春と秋に薩摩義士を偲ぶ例大祭が行われる。
鉈[なた]彫りの素朴な仏像で知られる江戸初期の僧・円空が、1年間逗留した臨済宗の古寺。円空晩年の傑作という聖観音など、17体が安置されている。拝観の条件は時期によって変わる可能性があるので、事前の問合せが必要。
初代藩主の金森長近が天正13年(1585)に城下町を造営する際、浄土真宗の門徒の中心道場として建てられた寺。その後幾度か火災に遭い、現在の本堂は昭和39年(1964)に再建されたもの。寺宝館(希望すれば拝観は可能だが、15時まで。無料)には親鸞[しんらん]上人の一代記を描いた絵など、貴重な宝物100点余りが展示されている。また、庫裡は飛騨随一の豪農であった杉下家の民家を移築したものだ。
慶長10年(1605)、飛騨の国守金森長近が、城の鎮守と高山の南側地域の氏神として社地・社殿を寄進した。以来、北の鎮守・桜山八幡宮に対する南の鎮守として崇拝を集めてきた。春の高山祭はこの神社の例祭として行われる。本殿は流造、拝殿は三方に縁の付いた方三間寄棟造になっている。拝殿前の高さ43m、樹齢1000年の大杉は県の天然記念物。
聖武天皇の勅願で建てられた国分寺の一つで、天平18年(746)に創建。室町時代に再建された本堂(重要文化財)には藤原期の薬師如来坐像(重要文化財)、聖観世音菩薩立像(重要文化財)の本尊を安置。また、塔は創建時は七重の塔で、焼失を繰り返すたびに小型化し、現存の三重塔は文政4年(1821)の再建。境内の北東隅にある直径1.8mの大石(史跡)は、創建時の七重大塔の心柱礎石といわれ、真ん中に直径約58cmの柄穴がある。鐘楼門は高山城から移築したものとされる。
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