
谷汲山華厳寺
延暦17年(798)、豊然上人の開基による天台宗の古刹。西国巡礼の第三十三番札所、結願・満願の霊場として知られ、「谷汲さん」の名でも親しまれている。広い境内には笈摺堂・満願堂・精進落としの鯉などがあり、平安時代初期の作品である毘沙門天立像は国の重要文化財に指定。巡礼の参拝だけでなく、春には桜、秋には紅葉の名所としても賑わう。
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延暦17年(798)、豊然上人の開基による天台宗の古刹。西国巡礼の第三十三番札所、結願・満願の霊場として知られ、「谷汲さん」の名でも親しまれている。広い境内には笈摺堂・満願堂・精進落としの鯉などがあり、平安時代初期の作品である毘沙門天立像は国の重要文化財に指定。巡礼の参拝だけでなく、春には桜、秋には紅葉の名所としても賑わう。
延暦22年(803)に伝教大師最澄[さいちょう]が創建したと伝えられている寺。本尊には薬師如来像(重要文化財)や大日如来像(重要文化財)などが祀られている。舎利堂には、即身成仏した妙心法師のミイラが安置されている。揖斐川町はなももバスは予約制、平日のみ運行。
高山北部の鎮守社で、秋の高山祭はこの神社の例大祭。正式名称「高山祭の屋台行事」として昭和57年(1979)重要無形民俗文化財、平成28年(2017)ユネスコ無形文化遺産登録。創建は仁徳天皇のころで、凶族の征伐にやって来た難波根子武振熊命[なにわねこたけふるくまのみこと]が戦勝祈願をしたのが始まりと伝えられている。元和9年(1623)、2代目高山城主・金森重頼が社殿を寄進して再興した。現在の総檜造りの社殿は、昭和51年(1976)に新築されたもの。商売繁盛・学問の神・厄除けの神などを祭る5つの社がある。奉納の絵馬、大きな手水鉢、逆さ桐の灯籠など見どころも多い。
鎌倉時代末期に建立された延暦寺の末寺。かつては多くの末院を持つ大寺院だった。3体の円空仏を安置する円空堂の拝観は予約が必要。
垂井町にある南宮大社。金山彦[かなやまひこ]大神を主祭神にまつり、鉱山や金属業の総本宮として知られている。古くから美濃一の宮として源頼朝[みなもとのよりとも]らの厚い尊崇を受けていたが関ケ原合戦の際に焼失した。寛永19年(1642)に徳川家光によって現在の社殿が再建された。杉の古木に囲まれた豪壮な社殿様式は独特の造り。石輪橋[いしわばし](重要文化財)、下向橋[げこうはし](重要文化財)を前に楼門(重要文化財)や高舞殿[こうぶでん](重要文化財)が縦に並び、回廊(重要文化財)など18棟から構成。また、51年ごとに式年遷宮が行われる。
鎌倉時代末期、正和2年(1313)の創建。夢窓疎石(国師)を開創、仏徳禅師を開山とする名刹。観音堂と開山堂は国宝、夢窓疎石(国師)作の池泉回遊式庭園は国の名勝に指定。開山堂は、神社建築様式の一つである権現造の原型といわれる。11月中旬~下旬が見頃の紅葉の季節は特に美しい。修行寺のため、10人以上での見学には予約が必要。
金森長近の長男、長則の菩提寺。長則は織田信長に仕え、本能寺の変によって19歳で戦死した。寺の創建は養老4年(720)といわれる。屋根に露盤と宝珠をのせた珍しい鐘楼門があるが、この門は高山城の黄雲閣を移築したもの。鐘楼門からは市街を見渡せる。借景式庭園もすばらしい。
「馬頭さま」の名で、地元の人々に親しまれる小さな神社。境内には火の見櫓もあり、鎮火の効験があると伝えられる。毎年8月1~15日に開催される恒例の絵馬市では、紙絵馬などを販売。宝の袋を積んだ馬が描かれた絵馬は幸せを呼び込むといわれ、買い求める人が多い。
曹洞宗の名刹で、天正13年(1585)以来107年にわたり増島城主として飛騨を治めた金森家ゆかりの寺。寺宝には金森可重の肖像画など、金森家ゆかりの品が多い。本堂は江戸時代の明和2年(1765)の建立。増島城から移築した山門横の堂宇壁面には極彩色の地獄絵図が描かれており、飛騨人の道徳感を表現したものといわれる。
天平時代(約1300年前)、奈良の大仏勧進の為全国を行脚していた行基菩薩が、度重なる飢饉や洪水被害という悲惨な惨状から人々を救済するため、守護霊山場としてこの地に寺院を開山した。その後南北朝の戦果で焼失するも、約300年前尾張徳川家の御連枝である松平義行公が、高須藩松平家奈良の菩提寺として再建し現在に至る。境内は養老山脈の中腹にあり、書院からは四季折々の自然と雄大な景色を眺めることができる。
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