飛騨護国神社
城山公園の北側、高山城三の丸跡に鎮座する神社。西南戦争以降の飛騨出身戦没者の霊、むすびの神・飛騨大神宮、金の神・黄金神社、大工の神・飛騨匠神社、菓子の神・久和司神社がそれぞれ祀られている。境内には遺品館、農民一揆の責めを負って獄死した初代高山県知事・梅村速水の遺愛碑のほか、高山城の内堀も残る。5月3日の例大祭には、近郊の神社から獅子舞・闘鶏楽が奉納され、毎年違った神事芸能を見学可。
- 「高山駅」から徒歩18分
 
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													城山公園の北側、高山城三の丸跡に鎮座する神社。西南戦争以降の飛騨出身戦没者の霊、むすびの神・飛騨大神宮、金の神・黄金神社、大工の神・飛騨匠神社、菓子の神・久和司神社がそれぞれ祀られている。境内には遺品館、農民一揆の責めを負って獄死した初代高山県知事・梅村速水の遺愛碑のほか、高山城の内堀も残る。5月3日の例大祭には、近郊の神社から獅子舞・闘鶏楽が奉納され、毎年違った神事芸能を見学可。
													曹洞宗の名刹で、天正13年(1585)以来107年にわたり増島城主として飛騨を治めた金森家ゆかりの寺。寺宝には金森可重の肖像画など、金森家ゆかりの品が多い。本堂は江戸時代の明和2年(1765)の建立。増島城から移築した山門横の堂宇壁面には極彩色の地獄絵図が描かれており、飛騨人の道徳感を表現したものといわれる。
													温泉街の一角にある神社。須佐之男神[すさのおのみこと]などを祭る。平安~鎌倉時代、飛騨の匠が彫ったとされる木造神像10体(祭事には一般公開される)は、いずれも国の重要文化財に指定。2月14日には、国の重要無形民俗文化財に指定された「田の神祭り(別名・花笠まつり)」が行われる。禊[みそぎ]を終えた男たちが餅を担いで踊る田打ちの儀のあと、色あざやかな大きな笠をかぶって舞う。
													元和4年(1618)、徳川家康の6男で高田藩主・松平忠輝が高山に配流され、8年間を過ごした寺。加藤清正の孫・光正も高山城主金森家の預かりとなり、この寺に身を置いている。寿永元年(1182)頃に天台宗として創建、後に浄土宗に改宗。本尊の阿弥陀如来(市指定文化財)は12世紀後半の造仏で、仏師定朝の作風を表している。ユースホステルとして利用されている庫裏[くり]は、海外からの観光客にも人気。
													聖武天皇の勅願で建てられた国分寺の一つで、天平18年(746)に創建。室町時代に再建された本堂(重要文化財)には藤原期の薬師如来坐像(重要文化財)、聖観世音菩薩立像(重要文化財)の本尊を安置。また、塔は創建時は七重の塔で、焼失を繰り返すたびに小型化し、現存の三重塔は文政4年(1821)の再建。境内の北東隅にある直径1.8mの大石(史跡)は、創建時の七重大塔の心柱礎石といわれ、真ん中に直径約58cmの柄穴がある。鐘楼門は高山城から移築したものとされる。
													元禄時代初期の鉈彫りで知られる僧円空が3度も訪れ、この寺を拠点に飛騨を歩いた。多くの円空仏を所蔵し、地元では「円空さんの寺」として親しまれている。参道にある、樹齢1200年を超える五本杉(天然記念物)も見もの。
													温泉街を一望する下呂富士の中腹にある寺。創建は寛文11年(1671)。傷ついた白鷺に姿を変え、飛騨川で傷を癒して源泉のありかを知らせたという、薬師如来像を本尊としている。173段の石段を登ると、木々に囲まれた本堂がある。境内にはモミジが多く、秋は紅葉の名所としても賑わう。11月中旬には紅葉のライトアップを実施。下呂の歴史を伝える絵馬も奉納されている。
													平安時代中期に、『往生要集 [おうじょうようしゅう]』などを書いた高僧・源信が草庵を構えたのが始まりとされる、臨済宗妙心寺派の古刹。禅寺らしく落ち着いた雰囲気の境内には、本堂や観音堂などが立ち並び、なかでも茶道宗和流の始祖・金森宗和が設計した池泉回遊式庭園の「萬歳洞[ばんさいどう]」は岐阜県指定名勝の名園。観音堂背後に聳え立つ、国指定天然記念物の「禅昌寺の大杉」は樹齢1200年、樹高40mを超える巨樹だ。
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