
東照宮
元和7年(1621)、水戸藩初代藩主・徳川頼房公が創建。徳川家康公を祭神とし、現在は頼房公も合祀されている。境内には、頼房公が奉納した銅灯籠、徳川光圀公が造らせた鐘楼、9代藩主・斉昭公の考案による安神車(戦車)なども現存している。震災により鳥居・灯籠など倒壊、一部損失しているものあり。
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元和7年(1621)、水戸藩初代藩主・徳川頼房公が創建。徳川家康公を祭神とし、現在は頼房公も合祀されている。境内には、頼房公が奉納した銅灯籠、徳川光圀公が造らせた鐘楼、9代藩主・斉昭公の考案による安神車(戦車)なども現存している。震災により鳥居・灯籠など倒壊、一部損失しているものあり。
明治6年(1873)に創祀され、黄門様として有名な水戸藩二代藩主・徳川光圀公、幕末の賢君と名高い九代藩主・徳川斉昭公を祀る神社で、両公の文武両道の御神徳は全国に篤く尊崇されている。偕楽園に隣接した広い境内には、義烈館のほか、斉昭公に仕えた藤田東湖命を祀る摂社の東湖神社、光圀公育ての親の三木之次夫妻を祀り、夫婦和合・子授けに御神徳のある末社・三木神社などが併せて鎮座する。
境内は豊かな森で囲まれており、美しいエメラルドグリーンの清水が湧いていることでも知られる神社。ここは、はるか昔から男女が集まり宴を楽しむ場所だったため、現在も、知る人ぞ知る縁結びのパワースポットとされている。湧水で占える「水みくじ」や、「厄」を落とす「厄割玉」もある。
五穀豊穣、商売繁栄の神として広く信仰を集める神社。創建は白雉[はくち]2年(651)と伝えられ、日本三大稲荷の一つとされる。総欅権現造の本殿(重要文化財)は江戸末期建立で、周囲に施されている彫刻が見事。秋は関東を代表する菊まつりが開かれる。
斉衡3年(856)創立。大己貴命・少彦名命を祀り、古くから医薬の大神、良縁と幸福を授ける神として信仰されている。永禄年間(1558~70)に社殿を焼失したが、徳川光圀公・綱條公により元禄3年(1690)頃に始まり享保15年(1730)に遷座。御祭神御出現の地である神磯は荘厳さがただよう。
江戸時代初期、家康、秀忠、家光の三代に仕えた古河城主・土井利勝が開山した寺。現在の本堂は天保3年(1832)に11代城主・土井利位[どいとしつら]が再建したもの。境内には四代将軍家綱の母、お楽の方の供養塔があり、お楽の方が安産を祈願した岩舟地蔵が残る。中庭にある芭蕉塚には「春もやや景色調う月と梅」(非公開)と詠んだ文字が刻まれる。また梵鐘には林羅山の刻文があるなど、歴史的な見所も多い。土井家歴代の墓所でもある。
元和8年(1622)に徳川2代将軍秀忠[ひでただ]が訪れたという、眞宗大谷派の名刹。必見は関東に現存する最古の梵鐘といわれる、建永元年(1206)銘の銅鐘(重要文化財)。この梵鐘はかつて土浦城内にあり、代々時の鐘として用いられていた。市内宍塚[ししづか]の般若寺、潮来市の長勝寺の鐘とともに、常陸三古鐘にあげられている。
道路から坂道を下った窪地に建つため、別名を穴寺とも呼ばれる臨済宗妙心寺派の寺。本堂天井に描かれた迫力満点の竜の絵は、江戸時代後期の画家・谷文晁が描いたと伝わるもの。日照りに困った農民が雨乞いの際に水をかけたところ、見事に雨を降らせたという伝説が伝わっている。本尊である檜の寄木造の釈迦如来立像は鎌倉時代末期の作と推定されている典型的な清涼寺式像で、国の重要文化財に指定。収蔵庫に安置されているが、毎年4月8日に一般開帳される。
かすみがうら市随一の景勝地といわれる歩崎の高台にある寺。正式には宝性院歩崎山長禅寺といい、深い木立の中に朱塗りの仁王門と茅葺きの小さな本堂がひっそりと立つ。本尊の十一面観音像は、安産と漁師たちの水上安全の守り神として平安時代から厚く信仰されてきたという古仏。境内の一角、東屋が設けられた展望台からは霞ヶ浦が眼下に広がり、左に天王崎、正面に三又沖、右手に浮島・大山を望む絶景が望める。
浄土真宗本願寺派の寺院。評定衆として幕府にも参加した結城家初代・朝光が、親鸞の高弟・真仏を招き開基。寺号の稱名寺とは、朝光が出家して親鸞に賜った法名に由来するという。親鸞の直筆といわれる「往生要集」の断簡、朝光肖像画や木像、御霊屋門、二条門など数々の文化財を所蔵。大きな銀杏の木と親鸞聖人の銅像がある境内の奥には、初代朝光から四代時広までの墓がある。
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