
偕楽園 好文亭
偕楽園内にある、斉昭が自ら設計したといわれる木造2層3階建ての好文亭。斉昭はここで文人墨客や家臣、領内の人々を招き、詩歌や茶会を楽しんだという。
- 「偕楽園駅」から徒歩6分
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偕楽園内にある、斉昭が自ら設計したといわれる木造2層3階建ての好文亭。斉昭はここで文人墨客や家臣、領内の人々を招き、詩歌や茶会を楽しんだという。
長塚節の生家。短歌にめざめ、正岡子規の門をたたいた節は、伊藤左千夫とともに「アララギ」を創刊。後に農民文学の名作、小説『土』で小説家としても名をなす。現在は施設損傷の為、外観の見学のみ。
縄文時代後・晩期の大規模貝塚の遺跡公園と考古資料館からなる面積約5万平方mの史跡博物館。自然に囲まれた貝塚広場には貝塚の成り立ちがわかる貝層断面展示施設や、復元堅穴住居などがある。考古資料館では、貝塚や縄文人の暮らしのほか、土浦市内出土考古資料を展示。企画展や体験学習講座も開催されている。見学所要約1時間。
第9代藩主・徳川斉昭[とくがわなりあき]により創建された水戸藩の藩校(特別史跡)。儒学や武道をはじめ医学、音楽、天文学など幅広い教育を行い、藩士子弟に文武両道の修練を積ませていた。当時の藩校としては全国最大規模で、第15代将軍・徳川慶喜[とくがわよしのぶ]もここで学んだ。現在は正門、正庁、至善堂(いずれも重要文化財)などが残り、梅の名所にもなっている。2月中旬から3月上旬が見頃。
JR磯原駅東口にあり、地元出身の野口雨情が作詞した童謡が流れる。演奏は9時、12時、14時、16時、17時、18時、19時の1日7回。曲とともに「からくり人形」が登場。駅構内には雨情の童謡のイメージ画もある。
土浦城の本丸と二の丸の一部を整備した城址公園。堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから、この名が付いたという。櫓門[やぐらもん]は江戸時代前期の城郭建築で本丸にある櫓門としては関東唯一のもの。亀城公園の東櫓は博物館付属資料館になっている。
江戸時代の地元の裕福な農家を移築した、かすみがうら市歴史博物館の付属施設。茅葺きの母屋と穀物倉庫だった板倉の2棟からなる。
文久2年(1862)に戸崎地区に建てられた農家であり、那珂市に残された最後の曲がり屋ということで、平成11年(1999)に現在の地に移築・復元された。母屋から厩が突き出し、鉤の手に曲がっていることから、「曲がり屋」と呼ばれ、冬の北東の風が母屋に直接吹き付けるのを防いだり、当時重要な労働力だった牛や馬を家族同様に大切にするため厩を屋内に設けたといわれており、寒さの厳しい地方の代表的な民家形式である。
JR鹿島神宮駅前に延びる神宮坂沿いの鹿詰児童公園内に建つ像。延徳元年(1489)、鹿島神宮の神官の子として生まれた塚原ト伝は戦国時代の剣豪。鹿島中古流や香取神道流を学び、「一の太刀」を完成させ、それは後に「鹿島新當流」として広まった。「剣聖 塚原卜伝生誕之地」でもある鹿嶋市の鹿詰児童公園には、卜伝の銅像のほか剣聖塚原卜伝生誕五百年祭記念碑などが立っている。
戦国時代末期、北条氏の北関東進出拠点として築かれた逆井城。豊臣秀吉の小田原征伐により廃墟となったが、現在でも外壁と土塁が残る。当時、二階門と呼ばれていた櫓門を発掘調査を元に復元するなど、主殿や二層櫓がある公園内は戦国時代にタイムスリップしたようだ。園内では春になるとソメイヨシノのほか、一重でピンク色の花びらが可憐な地元生まれの桜・紅猿島も楽しめる。
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