旧取手宿本陣染野家住宅
江戸時代の水戸街道の宿場町取手宿にあった本陣。寛政7年(1795)の建築で、水戸街道に残る3棟の本陣の中で、建築としては古くとても大きいのものだ。水戸徳川家をはじめ身分の高い武士の宿泊・休憩施設であった。茅葺の重厚な建物が保存公開されている。主屋・土蔵・表門は茨城県の有形文化財に、敷地は取手市の史跡に指定されている。また裏山には第9代水戸藩主徳川斉昭の歌碑が残る。
- 「取手駅」から徒歩10分
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江戸時代の水戸街道の宿場町取手宿にあった本陣。寛政7年(1795)の建築で、水戸街道に残る3棟の本陣の中で、建築としては古くとても大きいのものだ。水戸徳川家をはじめ身分の高い武士の宿泊・休憩施設であった。茅葺の重厚な建物が保存公開されている。主屋・土蔵・表門は茨城県の有形文化財に、敷地は取手市の史跡に指定されている。また裏山には第9代水戸藩主徳川斉昭の歌碑が残る。
平成元年(1989)に茨城県有形文化財に指定。安永2年(1773)築の寄棟造の主屋、前蔵、衣裳蔵などからなる。主屋の荘厳な茅葺屋根や北を流れる関根川から水を引く回遊式庭園が見どころ。
戦国時代末期、北条氏の北関東進出拠点として築かれた逆井城。豊臣秀吉の小田原征伐により廃墟となったが、現在でも外壁と土塁が残る。当時、二階門と呼ばれていた櫓門を発掘調査を元に復元するなど、主殿や二層櫓がある公園内は戦国時代にタイムスリップしたようだ。園内では春になるとソメイヨシノのほか、一重でピンク色の花びらが可憐な地元生まれの桜・紅猿島も楽しめる。
龍神山の裾野、縄文~江戸時代まで各時代の代表的な建物を復元した古代屋敷の広場や、2000年前のハスの種から開花した大賀ハスが咲く池など、歴史のロマンに浸りながら散策が楽しめる。周辺は、一面の芝生が広がり、家族連れで遊ぶのにいい。
水戸徳川家2代徳川光圀(水戸黄門)が、元禄13年(1700)に没するまでの約10年間を過ごした御殿。数奇屋風の茅葺き平屋の御殿で、光圀は自ら『大日本史』の編纂をした。大名庭園と華美を嫌った光圀公の信条の融和が見られる仙境である。平成28年(2016)3月に国指定史跡及び名勝に指定された。春は御殿の梅、秋は紅葉がみどころ。
江戸時代中期の上層農家の住宅を移築復元したもの。建物は茨城県内で広く分布した「曲がり屋」で、土間全体が大きく曲がる「土間曲がり」と東側に突き出た厩がもう一つ曲がりをもつ「二つ曲がり」という珍しい様式。屋内には囲炉裏やかまど、厩などが当時のままに復元され、民具などが置かれて当時の暮らしぶりがわかる。令和1年(2019)12月に茨城県指定有形文化財に指定された。
JR鹿島神宮駅前に延びる神宮坂沿いの鹿詰児童公園内に建つ像。延徳元年(1489)、鹿島神宮の神官の子として生まれた塚原ト伝は戦国時代の剣豪。鹿島中古流や香取神道流を学び、「一の太刀」を完成させ、それは後に「鹿島新當流」として広まった。「剣聖 塚原卜伝生誕之地」でもある鹿嶋市の鹿詰児童公園には、卜伝の銅像のほか剣聖塚原卜伝生誕五百年祭記念碑などが立っている。
陶芸のみならず料理や書、絵画、篆刻[てんこく]などでもすばらしい業績を残した希有の芸術家・北大路魯山人[きたおおじろさんじん]の鎌倉の旧宅を移築。風情あふれる庭園の中に江戸時代初期の茅葺き屋根の古民家が立つ。邸内には自作の陶板を張った風呂場など、趣向を凝らした造作に魯山人の才を見てとれる。
縄文時代後・晩期の大規模貝塚の遺跡公園と考古資料館からなる面積約5万平方mの史跡博物館。自然に囲まれた貝塚広場には貝塚の成り立ちがわかる貝層断面展示施設や、復元堅穴住居などがある。考古資料館では、貝塚や縄文人の暮らしのほか、土浦市内出土考古資料を展示。企画展や体験学習講座も開催されている。見学所要約1時間。
偕楽園内にある、斉昭が自ら設計したといわれる木造2層3階建ての好文亭。斉昭はここで文人墨客や家臣、領内の人々を招き、詩歌や茶会を楽しんだという。
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